Hatena::ブログ(Diary)

ロックンロールに蟀谷を

負けまいとする心でしょう!のサブブログ的なもの。強迫観念的アウトプット。

2011-08-02 ありふれた言葉で特別な愛を伝えよう

「帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ。」は、ごちゃごちゃしたすべての音楽に対するアンチテーゼだ。EOM

ハナレグミのアルバム 帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ。は、世にはびこる、全てのごちゃごちゃした音楽に対するアンチテーゼのように聞こえる。

タイトルは高山なおみさんの『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。 (文春文庫)』からのインスパイヤかなと思われるけども、アルバムの雰囲気が実によく表れているタイトルだ。

ごちゃごちゃと隙間なく音を詰め込まれた音楽やら、ごちゃごちゃとした思想を押し付けてくる音楽やらといった全てに対して、ハナレグミのこのアルバムは、「歌はいいものだ」といういたってシンプルなただひとつの事実を体現しているようだ。

メロディを変にこねくり回すでもなく、曲の構成に奇をてらうでもなく、ただただ歌を歌っている。ただ歌でありさえすれば、それは素晴らしいという大事な前提に気づかされる一枚。

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唐突にハナレグミのレビューをした意味は特にありません。

2011-07-20 140字でも書けるっちゃ書けるが。

Google+ならmixiでうまくいかなかったあれができるかも

すげえ。今年初記事かこのブログ。


そんなわけで僕はブログを書かない人になったわけだけども、最近はハチヨンイズム様で連載を始めてみたり、フェイスブックを始めてみたり、かと思えばGoogle+を始めてみたりで、つまりツールに踊らされはじめた感じだ。

それで最近はGoogle+をどうやって使うかなといったことを考えていて、mixiの日記のように長文をストリームに書いたりもしてみたのだけどもしっくりこなくて、わざわざ無理にG+使おうとする必要もないかなとか思い始めていたんだけど、ちょっと思いついたことがあるので書いてみる。

昔mixiをやりつつブログを書いていたときに、両方書くのがめんどくさくなって、一時期、日記を外部ブログ設定にしていたことがあったんだけど、結果としてこれはうまくいかなかった。

なぜかというと、当時mixiはワールドワイドウェブから隔離されたコミュニケーション空間として(実体のない)安心感をユーザに提供することに成功していたので。

他人のmixi日記にコメントすることと、外部ブログにコメントすることとでは抵抗感の大きさが全然違った。

外部ブログへのリンクに対するワンクリックの移動が、"外界"への億劫な長距離移動に感じられた。

気持ち的な理由だけでなく、実際に外部ブログへのコメントは、名前を入れて、タイトルを入れて、削除用パスを入れて、なんならスパム対策の画像認証を経て、ようやく実行されるもので、mixi日記へのコメントに比べてはるかに手間だった。

しかも、外部ブログへのコメントは更新情報がmixiに通知されないから、あの、mixiを開くモチベーションのひとつとなる、赤文字の「コメントが1件あります」を見ることもできない。

要するに、mixi時代のSNSは、その中で完結する必要のあるものだった。


ここまで書けばご察しのことと思うが、Google+ならそれが可能な気がするよ!ということを言いたい。

G+のストリームはfacebookよりはTumblrに近いと言われていたりする。

実際、あれは自分の投稿さえも「共有」として扱われるように、ネタをシェアするような使い方に向くのだと思う。

だから、外部リンクへの移動に伴う気持ち的なめんどくささは少なく、それでいて、コメントは内部に書くことができる。

これがmixi時代のSNSとの決定的な違いだ。

この仕組み自体は別にG+に始まったものでもないのだろうけど、外部ブログを内輪的にも共有するというような使い方がちょっとしっくりくるんじゃないかなと、唐突に思い浮かんで、とりあえずしばらくそんな使い方をしてみようかなと思います。

2010-12-01

12月がやってきたので、そろそろみんな本年のいろいろなものをランキングにしたりしなくちゃ


今年も例年どおり12月がやってきた。

こちら札幌では、雪も帳尻を合わせるようにそいやっと降ったりしている。


こんな書き出しをすればだいたい気づかれることと思うが、特に書こうとすべきこともないままに書き始めているエントリーである。こいつは。


めっきりブログの更新を怠ってしまっていたのだけれども、どうして急に思い立ってこんなことを書いているかというと、アウトプットをしようとしないとインプットが足りていないことに気づかないな、ということに気がついたからである。

まあこれはそんなに面白い話にはならなそうなので、これ以上掘り下げることはやめる。

そんなことよりかはもう少し話を展開したいと思うようなネタならいくらかはあるのである。


たとえば上向きの矢印についての話をしよう。

どうして道しるべの標識に「↑」という上向きの矢印が書いてあると、我々はそれが上空ではなくて前方を指すものだと理解できるのか。

いや、よもや天のかなたを指しているとは思わないまでも、後方を指していると解釈しても悪くないはずなのに、なぜバックは「↓」なのか。


かつて四足歩行をしていた時代にもそれは同じだったのか。

あるいは直立姿勢で闊歩する人類のみが手に入れた認知機能なのか。

今もなお四本足で歩く動物様にご協力いただいて、上向きの矢印での誘導を試みたらどうなるだろうと実験計画を立ててみたりしながら、そもそも人間以外の動物は我々と矢印の意味を共有しているのだろうかという疑問に行き着き、まあでも見た感じで先っちょがしゅこってなってるほうになんとなく進むんだなってくらいはわかるんじゃね?とか思いつつも、やはりまずはそこを検証する予備実験からデザインする必要があるななんて考えていると一年なんて本当にあっという間ですね。良いお年を。

2010-01-13

被疑者にも、警察官にもストーリー―[書評]半落ち

半落ち』を読了。前から気になってはいたけれど、読もうかどうか、ふんぎりがつかずにいた。とりあえず最初のほうだけ読んでみて、面白そうだったら読もうかな。そう思って試し読みしはじめたが最後、書き出しから即座にぐわわっと話の中に引っ張りこまれ、ついに読了するまで帰してもらえなかった。

緊張感が、途切れない。

 取り調べは一冊の本だ。被疑者はその本の主人公なのだ。彼らは実に様々なストーリーを持っている。しかし、本の中の主人公は本の中から出ることはできない。こちらが本を開くことによって、初めて何かを語れるのだ。彼らは、こちらに向かって涙を求めてくることがある。怒りを焚きつけてくることもある。彼らは語りたがっている。自分の物語を読んでほしいと願っている。こちらは静かにページを捲っていけばいいのだ。彼らは待っている。待ち焦がれている。こちらがページを捲らない限り、彼らは何も語ることができないのだから。


本書は6つの章からなっていて、章が替わるごとに、それまでと全く違う人物が主人公となり、違う人の目線で物語が引き継がれることになる。せっかく感情移入したと思ったところで主人公が別人に替わってしまうという展開に、その瞬間ちょっとしたストレスを感じてしまうのだが、すぐに新たな主人公の動向に新たな興味を抱かせられる。それ故に本を閉じることができない…。

その事件の結末。焦らしに焦らされて、ここまで昂らされた期待を満たすようなオチなどあるのかと、後半は贅沢な不安を抱えながら読み進めたが、それがちゃんと用意されているから恐れ入る。読了感も申し分なかった。

専門的な知識にまで踏み込んで書かれているのに、文章もわかりやすく、中高生にも勧めやすい良書である。文句なしの星5個。

2010-01-11

わからない。―[感想]明日、君がいない

新年早々、今年見た映画ベストワンになりそうな作品に出会ってしまった。いや、これまでの人生で見た映画の中でも1位2位を争うくらいの作品であった。そんなに映画たくさん見てないんだけど。

明日、君がいない』(原題『2:37』)

以下、ネタバレありでいきます。まだ見てない人は絶対先に映画を見るべき!


冒頭で、どうやら誰かが死んだようだ(自殺のようだ)ということがわかる。その後ぶわーっと6人くらいの人物紹介が続き、観客は自然と「いったい誰が死んだのだろう」という意識で見ることになる。

そして最後、意外な人物が死んで、なんとこの人だったのか!となるんだけれど、決してそのサプライズのトリッキーさがこの映画の本質ではない。そこを間違うと、「こんな騙し方はずるい」とか、「いや、意外だったけど、それで?」といった感想にしかならないだろう。

この映画は、監督の実体験にもとづくものらしい。監督がこの作品で表現したかったことは、決して観客を欺く手法などというレベルの小ずるい試みではない。そうではなくて、これこそが、監督が体験したことだったのであろう。

つまり、一言でいえばそれは、「わからない」ということ。

悲劇の主人公への内的焦点化が許される映画では、主人公の苦悩が丸裸にされるのが普通だ。彼はこんな辛い経験をしてきた。それをこんなに頑張って、頑張って、ようやく乗り越えて幸せになった。そのプロセスが見えるから、観客は主人公に共感し、感動するのだ。

だが、ムラーリ・K・タルリ監督が体験した出来事は、そうではなかった。苦悩を抱え、それと闘って闘って、ついにやぶれてしまった友の悲劇ではなかった。死なれた友人に、自分は何かしてあげることができたのか、あるいはできなかったのか、それすらわからなかった。

それを彼は、映画の最後で一人の登場人物に語らせた。「わからない」。話してくれればよかったのに、と。

結局そうなんだ。他人の辛さなんて、わかってあげようと思ったって、わからない。全てを共感することはできない。自分にも自分の辛さがあるのだし。また、これも映画の中の人物の語っていたことだけど、家族や友人がいても、本当に大変なことは話せない。そういうとき、すごく孤独である、と。

見終わってから、ずいぶん考えさせられる映画だった。また、構成や構図もずいぶん面白いことをやっていて、映画通な人からすると、荒っぽく感じる部分もあったりするのかもしれないけど、個人的には素直に楽しめた。退屈する暇は全くなかった。

ほんと、すごい映画、という感想でした。