延原時行歌集「命輝く」(第981回)(花壇の土づくりとスカイビアガーデン)

             


        延原時行歌集「命輝く」(第981回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(184−8)
一相成るの歌、一切解除の歌、馥郁の歌、一切やの歌、驚きぬの歌、主と共にの歌、妻メッセンジャ―真情の歌、御文ありてやの歌、夢に見るの歌、復活の省察解の歌、信子短留介助フォトの歌、明らかな声の歌、妻死しての歌、発見の歌、恵みの歌、見ゆの歌、写真帳作るの歌、このところの歌、笑み増し奇蹟の歌、「笑み増し・祝福」機法一体の歌、復活信仰日ノ本に無きの歌、主我一体の歌、昨日の歌、幸越ゆる幸の歌、笑み増しひそとの歌、インマヌエル生成の歌、天来の声の歌。(2014年6月11−20)


    6月19日
         復活信仰日ノ本に無きの歌十七首

   それにせよ日ノ本にぞや復活の信仰未だ知らることなし

   そもそもぞ聖書翻訳いと怪し「これら人より我愛するか」
(備考:宝なるヨハネ福音書21章15節に関して口語訳1955年改訳も新共同訳もこれなり:「彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、『ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上にわたしを愛するか』」;「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた」)

   真実はこれら物より我をぞや愛するかとぞ主訊き給へり

   怖ろしき誤訳つくりて復活主欺きたるや信そこに無し
   あるものは愛の競争主義なるよ基教に非ず人間教ぞ

   我たるや宇宙的なる基督ぞこれら物とは宇宙諸多性

   愛するや総体解除したるまま宇宙の主たる復活主をぞ
   これこそが基督信仰言ふものぞ日ノ本知らず人間教ほか
   これ見れば妻が絶後に岸辺立つ主と共にぞや笑み往くや佳し

   日ノ本にあるは人間主義なるよ如何に基督斥けたるか

   恐らくはかく書きたるも人々は皆目何の事か思はん

   それほどに日ノ本にては基督の御旨知る人寥寥たるよ

   我思ふ如何に人々主に対し馴れ馴れしきか実に恐るべし

   復活の主を知る笑みも凛呼たる信もなくただ馴れ馴れし

   神聖に襟正すこと覚えざる人々はただだらだらとぞや

   恐らくや人々既知に一切を押し込めてこそ未知は見ぬふり

   我が御神絶後見(まみ)へし妻の如御臨在受け仰ぎ伏すなり

            主我一体の歌四首

   妻絶後なるとも見事笑み増せる一重に岸辺立つ主いませば

   この事やシャルダン述ぶるChristogenesis即Noogenesisぞ人だけ非ず
   復活の歓びはこれイマヌエル主甦りて我甦る(備考:イマヌエル原事実よりイマヌエル華やぎへ、主祈り給へば。ヨハネ17:5!)

   何たるの歓びなるかこの一体我妻も実に笑み増しつ往く

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延原先生から届いた新たな写真帳(2014年8月16日作成)『信子の表情―田園を背景に<リハビリは祝福のリズムに乗って>God blessed the good day』(豊浦病院・2011年6月〜10年5日)より、歌に添えてはじめから一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第三回です。



    
      豊浦病院 408号室 2011年6月
        信子 <昼ごはん美味しかった> 
        順子 <さあ少し休んで下さい>      
     

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今朝の神戸新聞に「北条民雄生誕100周年企画展」の記事がありました。ご案内方々ここに収めます。

昨日はまた、延原先生の新著『建学の精神・対話の精神・エコ神学ーー至誠心の神学による大学形成の構想』の「はしがき」が成り、トレトレのものを味読させていただきました。ただ今「考古堂」において刊行準備中の『復活の省察・上巻ー妻と歌う』をはじめ、新しい作品が次々と産み出されていきます。喜びもひとしおです。

本日は真夏の甲子園球場へ出かけてきます。わが故郷の母校は鳥取県大会で敗退しましたが、友人の母校・八頭高校が本日の試合に臨みます。

今日の写真は、昨日午前中の花壇の土づくりの数枚・・腐葉土と培養土をたっぷりと・・・。

夕方、30分ほどぶらぶらと歩いて、長田の「スカイビアガーデン」へ。