延原時行歌集「命輝く」(第2993回)(ツツジのぼんぼり咲き)

 延原時行歌集「命輝く」(第2993回)
「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も初めに先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

○(4月28日)
      第三祷天から地にとイマヌエル成るの歌八首
        (* 鳥飼先生 4/27, 2018 21:36)
一 第三祷「御心天に成る如く」言ふは誠や「神共」の事
二 従ひて「御心地にや成らせませ」言ふや誠や「太初」の調べ
三 この祈りインマヌエルの天に成り地に成ることを主ぞ祈りてや
  (備考:第三祷の主旨、インマヌエルの起承転結に在りと、初めて我悟りぬ)
四 従ひて受肉のわざの御友さまこの祈りもて御業果たしぬ
五 「神共」のイマヌエルこそ「太初」にぞ内住せむと御友祈りぬ
六 ここにこそ参与の調べおごそかに「共に」奏づやイマヌエル燦
七 この調べ今や地球の哲悦よ「平安ありて平和なる」とや
  (備考:拙著『平安ありて平和なるーーホワイトヘッドの平和論、西田哲学、わが短歌神学日記』新潟・考古堂、2017年:これオバマ米大統領広島平和記念講演を祝せり)
八 「原事実新現在や神表現」哲悦や咲く本書主題ぞ  (備考:新著『哲学の喜びーーチェンジの時代に、根底を省察する滝沢語録を読む。』の上梓を祝ひて。)――曰く「純粋に神人学的に考える人間は、したがって、自分自身を一つの存在者として知っている。この存在者は一方では、絶対的に偶然的であり、あらゆる歴史的形態を持った規定から自由であり、他方ではしかし。何よりも先ず、そのようなもろもろの規定とは比較にならないほど厳しい、唯一の神の規定、すなわち人間は、まさしくはじめから終りまで、このような偶然的な存在者として自分自身の生涯において生ける神ご自身を表現すべきであるという、唯一の神の規定の下に立っているのである。(ここで滝沢の文言に付加してあえて言えば――「深き低みの底ぞ飛翔す」と。その時、滝沢のオリジナルの文言は一層輝きを増すのである。)即ち、「このようなものとしての人間はたとえ苛酷な歴史的状況――死――にあっても、たえず希望に満ちている」(『純粋神人学序説』273頁)。

IXIA!
延原時行

(* 鳥飼師 4/27, 2018 7:26 PM:「延原先生 今日も有難うございます。韓国と北朝鮮の歴史的な首脳会談は一歩一歩とは言え、ひとつ大きな出来事でした。映像報道はこういう時は有効ですね。今日はこのたびの「賀川豊彦著作選集」の完結祝いの神戸での集いの準備もあったりいたしました。県知事さんなども挨拶にお見えのようです。
御礼方々
IXIA!!
鳥飼慶陽」)


ツツジの華やぐ季節、先日「ツツジのぼんぼり咲き」を見つけてブログとフェイスブックに紹介しましたら、数人の方々から書き込みをいただきましたが、昨日のぶらり散歩で、もう一度「ぼんぼり咲き」を観てきました。

一本のツツジの木が折れて出来た珍しいツツジのぼんぼり咲きですね。

今日もスズメと猫ちゃんと・・・