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見聞読考録

2017-12-19

Happy Merry Christmas!!

お隣さんから,クリスマスカードが届いた。宛名に Yuuta (?) と書かれている。

なんと素晴らしい。素敵すぎる。


思えばここに越してきたその日にも,すでに手紙が投げ入れられていた。入居祝いと称して,常日頃からお隣で開かれているパーティに混ぜてもらったのは,北欧の洗礼とも言えるような新鮮な驚きだった。ここのところしばらくなかなか会う機会がなかったのに,クリスマスカードを送ってくれるとは思わなかった。良い隣人を持った。


そして今日,フローニンゲン大学からもクリスマスカードが届いた。

なんとギフトカードだ,大学からのクリスマスプレゼントである。


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大学に所属する学生以外の全ての関係者に送られるそうだ。パーマネントの職員がもらうというだけでもびっくりするほどのことなのに,短期の客員研究員にまで送ってくれるとは,もう驚きを通り越して感動すら覚える。


なんと素晴らしい。素敵すぎる。


が,僕はもう日本に帰らねばならないので,ほしいものを選んだところで,受け取りを待つことができない。さすがに日本まで送ってはくれないらしい,残念だ。ワインボトル4本とか,Whiskey tasting set とか,もらえたらめっちゃ嬉しかったのに。仕方ない,これまでお世話になった共同研究者の方にでも,カードごとプレゼントすることにしよう。


先日の貸し切りスケートリンクの件や,Sabbatical についてもそうだが,オランダに来てからというものとにかく大学の粋な図らいに驚かされてばかりだ。さっきも隣のラボの教授が,2019年に4ヶ月間,Sabbatical で日本に滞在するぞ,Hey Yuta,一緒に山に登ろう,と意気込んでいたのを聞いて,日本とのあまりの格差に泣きそうになった。彼には,1歳になったばかりの赤子がいるそうだが,それでも2年後に4ヶ月も家を空けるということは,家族で日本に来るということだろうか。家族水入らずで4ヶ月も,悠々自適に日本を旅しようということだろうか。


片や日本では働きすぎで人が死んでいるというのに,この差はなんなのだろう。それでいて,研究者一人あたりの研究成果にも差がないというし,国民一人あたりの GDP に至っては遠く及ばないというのだから,もういろいろとばからしくなる。日本人はいったい何をやっているのか。


これからは効率を重視しないといけない。仕事の時間ばかり長くても,中身がなければ意味がない。残業がもてはやされるなんてもってのほかということだ。


聞いた話だが「とある大学」のとある事務職では,仕事ができる人とできない人とで,給与に大きな開きがあるいう。驚くなかれ,できない人の方が,圧倒的に高給取りなんだそうな。


なぜかというと,仕事のできない人は毎日残業して,残業手当をたんまりともらうからだという。片やできる人はさっさと終えてしまうので,定時かそれ以前にやることがなくなって帰ることになる。しかもできない人は,例え仕事を終えられなくても,待遇が変わらないので反省しない。結局,できない人のしわ寄せができる人に回って,周りが必死にそれを補っているらしい。


終いにはできない人に仕事を任せられなくなり,できない人の仕事がなくなる。できる人はできない人の分まで仕事を請け負いながら,それでも定時に帰るために死に物狂いでノルマをこなす。一方のできない人は,上達するのは言い訳ばかりで,味をしめた残業だけは止めることをせず,特にやることもないのにネットサーフィンをしながら時間を潰して,給料だけもらっていくようになったという。


しかもその「とある大学」では,このシステムが一向に改善される様子がない。その上,大学の経営難のため,教員の給与がどんどん減らされているという。現政権になってからというもの貧民は急激に増えているというのに,学費も上がる一方だ。この状況を嘆かずにはいられようか。


一般企業のことはよく知らないが,大学に限った話ではないだろう。多かれ少なかれ,似たようなことは方々で見られるのではないだろうか。


日本の問題の大部分は,システムの不具合,またそれを許容している人の意識の問題に起因していると思う。それらがいつまで経っても改善されない理由は,いくつかあるだろうが,一番は当事者たちが頭を使っていないことだろう。問題意識がないと言い換えることもできる。


具体的には,人の行動原理とも言うべき「ドライブ」,またそれを刺激する「インセンティブ」に対して,日本中どこを見渡しても皆が皆,あまりに無頓着であると思う。先のとある大学の事務職の例で言えば,本来ならば仕事をした人に高い給与を与えるべきなのだから,仕事の量に対して給与を増減させるとか,少なくとも残業と残業手当を廃止するくらいはしないといけないだろう。あるシステムがあったとき,そのシステムに対してそれぞれの立場の人がどう感じ,どう考え,どう動くのか,ということを常に考えなければならない。また不具合があったときには「ドライブ」や「インセンティブ」を常に意識して,無理のないシステムの構築に向けて着実に改善していかなければならない。まったく仕事をせずにネットサーフィンをして給与がもらえるのだったら,当人の利益だけを考えた時に,それこそが最適解だろう。ネットサーフィンをして給与を攫っていく仕事のできない人は,すごいムカつくけれども,最低のクズだけれども,現行のシステムでは最も賢い人なのである。「ドライブ」や「インセンティブ」を考えないとき,必ずこの手の悲劇を招くことになる。これが許されていいのだろうか。


「インセンティブ」を軽視したが故に過去の共産主義の崩壊があり,「ドライブ」を軽視するが故に現在の資本主義の危機があるのだ。早急に対応しないことには,日本に未来はない。


ああ,なんだか暗澹たる気分になってしまった。

タイトルとの乖離が激しい。これはいけない。


...(一時休戦)...


この週末は!ドイツのケルンに!クリスマスマーケットを見に行くよ!

楽しみだな!ルンルンルン!


皆さんも良いクリスマスを!

Happy Merry Christmas!!


見聞読考録 2017/12/18

2017-09-15

過剰反応

ポーランドの古都クラクフから,オランダのフローニンゲンに戻ってきた。

雨上がりの青空の美しい,清々しい朝である。


かたや日本の上空には,またミサイルが通過したんだって?

それでまた,電車を止めるほど騒いだんだって?


見ていて滑稽である,日本をひとたび離れて外から俯瞰すると益々もって滑稽である。

国を挙げて馬鹿やっているみたいだ。恥ずかしい。


ちっぽけなミサイルひとつで何をガタガタ騒いでいるのか。だってミサイルだよ,逃げようがないじゃない。屋内に避難って言ったって,大抵の建物くらい簡単に突き抜けるに決まってるでしょう,そういう兵器なんだから。当たったら運が悪かったと思うしかないし,当たるわけがない。あなた,命を狙われるくらいの重要人物なの?


だいたいほとんど宇宙空間を通過しているだけなのに,なんなのあの騒ぎようは。いいかげんにしてほしい。北朝鮮もミサイル 1 発でここまで騒いでくれるんだから,あまりの有り難さに,手を叩いて喜んでいるだろうよ。あの国はとにかく目立ちたくて挑発を繰り返してるんだから,挑発行為を止めさせたいのなら,ここは無視が正解でしょう。


でも日本政府はそうはしなかった。それはつまり日本政府はわざと国民を不安に陥れて,北朝鮮に対する国民の悪感情を煽っているということになるでしょう。ちょうど賄賂とかが発覚して支持率がガタガタ下がっているところだし,北朝鮮を敵にしてしまえば内閣を延命できるとでも思っているのでしょう。政治家っていうのがそういうことを平気でする,っていうのは歴史が示しているじゃないの。


で,それに乗せられてどうするのよ。ちょっと他に餌を吊るしておけば国民なんてすぐに操れる,日本国民は馬鹿だからすぐ忘れる,とでも思ってるんでしょうよ。実際この騒ぎようを見ると,本当に馬鹿かもしれないと思わざるを得ない。


過剰報道の裏には悪質な企みがあると疑ってかかるべきである。例えここに書いたことに多少の誤りがあろうとも,群衆は基本的に政府を疑うというスタンスでいないといけないというのは,全ての民がそろそろ理解しても良いころだ。何せ,1776 年にはすでに,第三代アメリカ合衆国大統領のトーマス・ジェファーソンによってそのようなことが言われている。230 年以上も前のことなのに,まだ浸透していないなんて。


信頼はいつも専制の親である。

自由な政府は,信頼ではなく,猜疑にもとづいて建設せられる。


第 3 代アメリカ合衆国大統領 トーマス・ジェファーソン 1776 年「憲法」


なのであっけなく振り回されちゃった人は,いいかげん目を覚まして,自分の行いを恥じて,反省してください。

水でも浴びて,頭冷まして出直して来いこの大馬鹿者。


見聞読考録 2017/09/15

2017-09-03

他人の反応

自らの発言,あるいは行動に対する他人の反応がどうしても気になってしまう。

僕だけではないはずだ。


オランダの人たちだって,気にしていないわけはないだろう。

だが,時にまったく気にしていないように見えるときがある。


では,どうして僕は他人の反応がこれほど気になるのだろうか。

ふと考えた。昨夜のことだ。


原因を問えば,文化や教育,周囲の環境などいろいろ挙げられるだろう。

あるいは,元来群れをなすヒトという生き物ならではの進化の産物と捉えることもできるはずだ。


だが,至近的な要因としては,自信がないというのが大きい気がする。

だから,他人の意見を聞きたがる。


他人の意見を聞くことは良いことだ。

これは生涯,失わずにいたい。


一方で,他人の反応,特に批判を恐れる余り,発言や行動を控えるのは良くない。

自分の成長を妨げることになる。


さらに言えば,多くの人がそれをすると,危険な思想を持つ少数の愚者に社会の主導権を握られることになりかねない。

遠慮や忖度の先に,明るい未来はない。


遠慮などいらない。

「空気を読む」などもってのほかである。


万人は等しく,声を大にして意見するべきなのだ。

それから,聞く側は全ての発言に敬意を持って,できるる限り許容すべきなのだ。


そうは言っても他人の意見が気になってしまう僕は要するに,まだまだ未熟なのだ。

それを昨日,痛感した。


なお,突然こんなことを言い出すような特別な出来事があったわけではない。

昨夜,ベッドの上で本を読んでいて,ふと思った。なんでだろう。


忘れないように,ここに書いておきたい。


見聞読考録 2017/09/03

2017-04-18

人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいようがうま,淮南子(えなんじ))。


本当にその通り。


K さん,ありがとうございます。


見聞読考録 2017/04/18

2017-02-06

脳筋カタツムリ?!

殻を振るカタツムリの話が日刊工業新聞というメディアに紹介された。

Yahoo! ニュースにも再び。


発掘!イグ・ノーベル賞(9)北海道大学−殻で敵を殴るカタツムリ(動画あり)


決して引きこもらず、敵に殻を投げつけるカタツムリ


でも文章中に「北海道大学の森井悠太学術研究員は北海道とロシアで “脳筋タイプ” のカタツムリを発見した」とある。

気に入らない。


脳筋とは:脳みそまで筋肉でできているの略で,体は鍛え上げられたマッチョな体型をしているが,頭は悪そうな人を嘲う言葉である。体力はあるが頭は悪そうな人のこと。筋肉バカ。


参考:日本語俗語辞書


ということなので,まるでカタツムリを不当に侮辱しているように聞こえる。

というか,侮辱そのものでしょ。。いいの?これ?


取り上げてもらえたのは嬉しいんだけど,これはちょっとなぁ。。


Yhaoo! ニュースも,ただその日刊工業新聞を転用するだけならまだしも,わざわざタイトルを加えて,「敵に殻を投げつけるカタツムリ」なんて書いちゃってる。


いや,投げつけないよ!

振り回すんだよ!


投げつけちゃだめでしょ。

カタツムリ死んじゃうでしょ。


伝言ゲームの恐ろしさを知る今日この頃。

結局,受け取る側が気をつけるほかどうしようもないのかも。


見聞読考録,2017/02/06

2016-08-22

色つきのお金,腐るお金

お金には色がない。

だから,資本主義は難があるのではないか。


もし色のついたお金があったらどうだろう。

白いお金,黒いお金,赤いお金,青いお金。


例えば今日みたいにお店でパスタを食べても,あなたのお金は黒いので受け取れません,なんて言われる世の中になったら,みんな一生懸命,白いお金を生み出そうとするのではないか。「徳」が求められる世の中になるのではないか。


あるいは,腐るお金があったらどうだろう。


定期的に紙幣の価値が下がっていき,例えば1年後には1万円札の価値は0円になる。そんなお金があったら,みんなこぞってお金を使うようになるし,必要以上に荒稼ぎするようなことも,それによって地球の資源や環境を根こそぎ破壊してしまうことも,なくなるのではないか。


そんなことをカフェのオーナーさんと話し合う,文化的な正午。

炎天下の暑い正午。


それにしても,奈良は素晴らしい。

これが,歴史のチカラか。


見聞読考録 2016/08/22

2016-01-04

kenbun2016-01-04

明けまして2016年

2016年は,正月から長野県北東部の根子岳(2,207m)へ。


菅平高原・奥ダボススキー場のリフト降車口から標高差約 600m/片道約 3.5km の行程を,スキー板を担いで登った。山スキーやスノーシューのようなものがあれば良かったのだが,あいにく持ち合わせがない。アルペンスキーを担ぎ重いブーツを履いて雪に足を取られながら,登った。


澄んだ青空の広がる絶好の登山日和だった。全国的な雪不足の煽りを受けてバックカントリースキーに絶好とは言い難く,ボブスレーのコースのように狭く長い下りには正直辟易したけれども,それでも山頂からの爽快な眺めを拝められただけで満足。おまけに,クモガタガガンボにも出会えたし。新年最初のフィールドとしては上出来と言えよう。


研究にわくわくしていた昨年の気持ちを忘れず,近くまた遠く先を見据えて,いつでも今を大切に生きていこう。地道にしぶとく生きていこう。そう思えた清々しい正月だった。


不束者ですが,皆さま今年もよろしくお願いいたします。


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見聞読考録 2016/01/04

2015-03-08

多様性とは何か

今年度,研究費を助成してくれていたとある財団から,簡単な文章の執筆を依頼された.それを書き上げたあとの残りカスをここに貼っておく.


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Ph. D とは、Doctor of Philosophe の略であり、博士号の称号を指す。すなわち「哲学博士」と訳して差し支えないだろう。この言葉は、科学を志す者がいずれ必ず何らかの哲学的な問いに辿り着くことから名付けられたのだと思う。

私はこれまで、様々な野生生物と関わってきた。幼少期にはあらゆる昆虫を採り漁り、趣味として植物をたしなみ、現在はカタツムリを主な対象として研究を行っている。多種多様な野生生物を目の当たりにしてきた私が、生物多様性の諸事に興味を持ったのは、今思えば必然だったのかもしれない。そんな私が最初に辿り着いた哲学的な問いは、多様性とは何か、というものだった。何か、と問うている時点で、科学の問いではない。いわば、多様性の本質を知りたかったのである。

多様性とは可能性のことだ。これが、私の得た答えの一つである。多様性が高い、すなわち均質ではないものがよりたくさん寄り集まっていればいるほど、新しいものが生じやすいということである。これは私たちの社会にもよくあてはまる。革新的な発想は、自由で多様な人々から生まれやすい。それ故、多様性を高め、維持することは概して有益なことであると私は考えている。しかし現実問題として、これをなすことは非常に困難なことである。決して、自分の意見を他者に押し付けてはいけない。他者の意見を敬う寛容さがなくてもいけない。少数派を擁護する仕組みがなければ維持され得ないのだ。

多様性とは、いったいどのようにして生み出され、保持されるものなのだろうか。私は、多様な生物を通して、この普遍的な問いにこれからも挑戦し続けたいと思っている。

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案外時間を食ってしまった.

ああ,学会の準備をしなくては.


見聞読考録 2015/03/08

2015-03-04

アパルトヘイトと差異の承認の政治 ー 亀井伸孝氏による論説

昨今,世間(全世界)を騒がせている,曽野綾子氏による人種差別発言が繰り広げられたのは,2015年2月11日の産経新聞の朝刊でのことだった.


「もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。」

「爾来、私は言っている。「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」」

  • 曽野綾子,2015/02/11(産経新聞)

どう読んでも好意的に捉えようがないほど,偏見に満ちた悪質な発言である.弁解の余地などかけらも見当たらない.曽野綾子氏が他に何をなした人かは知らないが,この記事一つで,これぞレイシスト,と呼んで差し支えない最低の人物であると僕は判断した.さらに,これをすんなり掲載してしまう産経新聞の酷さも目に余る.編集者のレベルの低さが透けて見えるようだ.


そんな時代錯誤のレイシスト,曽野綾子氏は,なんでも "第2次安倍内閣における教育提言を行う私的諮問機関(教育再生実行会議 - Wikipedia)" である教育再生実行会議のメンバーであるそうだ.すなわち,安倍晋三氏のアドバイザーと言える.こんなとんでもない愚者が,首相と深く関わっているのだから,嘆かわしいを通り越して呆れるほかない.それも一重に,安倍晋三氏が首相として全くふさわしくない人物だからこういうことになるのだろうが.


曽野綾子、海外メディアからの人種差別コラム批判に「安倍首相のアドバイザーだったことはない」と逃亡するも再び炎上 - BUZZAP,2015/02/17


一方で,そんな呆れ果てるような発言に対する,亀井伸孝氏の論説が素晴らしかった.論理的で,無駄なく,美しい.ただ怒りに任せて書きなぐる,僕の文章とはわけが違う.研究者として社会にも大きく貢献している.亀井伸孝氏が他に何をなした人かは知らないが,この記事一つで,これぞ研究者と呼んで差し支えない人物と思った.


「文化が違うから分ければよい」のか―アパルトヘイトと差異の承認の政治 - 亀井伸孝(文化人類学,アフリカ地域研究),2015/02/25(SYNODOS)


多少小難しい部分もあるかもしれないが,この情報は信用に足る.そういう,文章の書かれ方をしている.


できる限り多くの人に読まれるべきと思ったので,ご紹介.微力ながら.


見聞読考録 2015/03/04

2015-02-05

研究手法の発達とその弊害

ここしばらく,高価な試薬やキットを使う実験をさせていただいているのだが,ラボの学生さんが結構頻繁に失態をやらかす.


つい数日前は修士の学生が,一つ十数万円もする試薬パッケージを種類を間違えて解凍してしまっていた(一度解凍すると,使うしかない.もう一度冷凍することはできない).


さっきも学部の学生が,一つ数万円する要冷蔵のキットを冷凍してしまっていたことが発覚したばかり.それも6つもまとめて.カチンコチンに凍り付いた,凍り付いてはいけない精密機械を見て,背筋が寒くなった.


見ていてドキドキする.心臓に悪い.


実験にミスはつきものだし,仕方がない部分もあるだろう.同じ失敗を何度も繰り返すようではいけないが,そうでないならば,ある程度は許容されるべきだと思う.たとえそれがボンミスであっても.失敗を重ねて,反省をして,人は成長していくものだ.それも,学部や修士の学生のような若人ならば,なおさらだ.


しかし,近年の研究手法の高度化・高額化に伴い,たった一つのミスが,非常に手痛いダメージを伴うようになってきてしまった.僕が学生時代に行っていた研究でさえ,一つ一つの行程に数万円はかかろう試薬を用いていたが,今ほどではない.この流れは,ますます加速されているように見えるし,これからも進行するだろう.研究に関して言えば,ますます失敗が許容されにくい時代になると見て良いだろう.いや,研究の世界だけの話ではないかもしれない.


失敗が許容されないということは,逆にいえば,成長の機会が少ないということになる.これは,由々しき事態だと思う.失敗をするくらいなら,何もしない方が良い,という発想に至る人も多いはずだ.


決して,そうさせないようにしなくてはならない.

少なくとも,教育機関でもある大学としてはその点に注意を払うべきろう.「結局のところ何もしないのが一番.ことなかれ,ことなかれ」なんて考えの人間ばかりが育つ世の中では,お先真っ暗だと思う.


見聞読考録 2015/02/05