石津ちひろ「ありふれたあさ」

こんにちは、検索迷子です。


詩はいつだって、読み手が出会いたいと思っていた言葉を、
出会ったときの感覚だけで切り取って、
自由に読める良さがある。


その詩が書かれた背景など知らなくとも、
著者のことを知らなくとも、
言葉だけが浮き上がって心にしみこんでいくなら、
著者の意図する方向とは違った解釈をしたところで、
それはそれでいいのだと読み手の一人として思う。


著者の方が亡くなっている場合、
遺された文献以外に、その解釈を知る由もないこともある。
詩は読み手の手に渡ったとき、
読み手のものになるのだとずっと思っていた。


でも、
震災後に編まれた詩集というのは、
書かれた時期を知ったうえで、
書いた人の意図を知ったうえで手にとり、
読み始めるから、それまではもしかしたら、
素通りしたかもしれない言葉にも立ち止まってしまう。



震災後に編まれた詩集、
『続・一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある』
水内喜久雄(みずうちきくお)さん編著、PHP研究所刊より、
石津ちひろ(いしづちひろ)さん著、
「ありふれたあさ」を紹介したい。

続・一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある

続・一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある

   ありふれたあさ  
              石津ちひろ


あさおきて
おおきなのびをする
まどをあけて
とりたちのさえずりをきく
おゆをわかして
かおりのいい紅茶をいれる
なんでもない
ありふれたあさ
なんにもない
ありふれたあさ
いつもある
ありふれたあさ
いつまでもある
とおもいこんでいた
ありふれたあさ

この詩を読んで、以前紹介した、
あさになったのでまどをあけますよ
を思い出した。


『あさになったのでまどをあけますよ』、
荒井良二(あらいりょうじ)さん作、偕成社刊。

あさになったのでまどをあけますよ

あさになったのでまどをあけますよ


朝がくることはあまりにも当たり前だと思いすぎて、
朝を迎えることのかけがえのなさを、
石津さんの詩も、荒井さんの絵も伝えてくれている。


ごく普通のありふれた朝を迎えられることが、
何よりも幸せな一日の始まりなのだということを思い出し、
朝を迎えることをもっと丁寧にとらえなおしたいと思う。


石津ちひろさんは、
リサとガスパール』シリーズの訳者でもいらっしゃる。

リサとガスパール にほんへいく

リサとガスパール にほんへいく

リサとガスパール ゆうえんちへいく

リサとガスパール ゆうえんちへいく


やさしい言葉、やさしい空気感で、
言葉をつむいでいるところが、ほっとさせられる。


水内さんの著書を紹介した記事


水内さんの編む詩集が好きで、
過去に数回エントリーを書いています。


本書の前編『一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある』
から2編、紹介したものもあります。

一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある

一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある

折原みと著「かわっていくこと」

すずきゆかり著「今、ここで」


先日は、岸田衿子(きしだえりこ)さんの詩、
「迷(ま)い子の道」を紹介しました。
岸田衿子著、水内喜久雄選、理論社刊『岸田衿子詩集 たいせつな一日』より。

たいせつな一日―岸田衿子詩集 (詩と歩こう)

たいせつな一日―岸田衿子詩集 (詩と歩こう)



今年の年初に2つ紹介しています。
工藤直子さんの「夕焼け

工藤直子著「元旦」



また、水内さんの編んだほかの著書も紹介しています。
石垣りんの詩を編んだ「宇宙の片隅で」を紹介しました。


良ければ、そちらもあわせてお読みください。


では、また。