(12)草なぎ剛さんに、いちめんのなのはなを

こんにちは、検索迷子です。


今日は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんとのコラボブログ第12回である。ブログ主旨については、最下段にリンク先を掲載している。


凪さんの(11)3月5日、つまりSMAPの『世界に一つだけの花』の発売日にちなんだ記事を受けて、私も「花」にちなんだ話題を書こうと思う。

草なぎさんに贈りたい、草なぎさんのような詩

世界に一つだけの花』の購買運動が活発になると同時に、Twitterでは「私の世界に一つだけの花」といったタグをつけて、実際のお花の写真をアップしているかたをたくさん見かける。その写真がタイムラインに並ぶさまは、個々のお花の美しさや多様さに目や心が奪われ、ときには香りすら想像できそうな華やかさがある。


また、『世界に一つだけの花』の購買活動を活性化するだけでなく、1月のSMAPの報道以降、ファンのかたたちは心穏やかでない日々のなかにも、大喜利や笑いをタグ付けで展開しながら気分転換を図ってこられてきた。そして、そんななかから生まれた「花」の写真の公開は、常に新しいリフレッシュ方法を見つけて楽しむファンのかたの、「苦しいときこそ笑う」芯の強さを感じつつ、私も楽しませていただいている。


私は、写真とか映像を扱うのは不得手のため、今日は、お花の詩を紹介したい。幼少期からずっと好きな詩があって、折に触れて人に紹介してきたが、自分のブログではまだ書いたことがなかった。それは、あまりに詩の世界観が大きくて、紹介するきっかけがなかったからだ。


でも、その自分が大好きな詩が、草なぎさんにぴったりなのではないかと最近ずっと思っていて、それを紹介しようと思った。この詩は、草なぎさんご自身を表現するような広がりのある詩で、草なぎさんに贈りたいものでもあるが、同じフレーズが続くゆえの音読の難しさを、声がいい草なぎさんにいつか朗読してほしいと願っている一編だ。


草なぎさんのメンバーカラーである黄色である、菜の花をテーマにした詩、山村暮鳥(やまむら・ぼちょう)著、「風景」を紹介したい。この詩を聞いたことがあるかたは、一番音のインパクトが強い、「いちめんのなのはな」と覚えているかもしれない。

   風景
    純銀もざいく

           山村暮鳥


いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな


いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな


いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。


この詩集は、1915年に出された詩集『聖三稜玻璃』(せいさんりょうはり)の一編だ。
現在はもう、電子図書館の『青空文庫』の詩集『聖三稜玻璃』で読むことができる。
書籍収録で一番新しいと思われたものに、『(4)山村暮鳥 (日本語を味わう名詩入門)』、萩原昌好(編集)、あすなろ書房、2011年6月刊行がある。

(4)山村暮鳥 (日本語を味わう名詩入門)

(4)山村暮鳥 (日本語を味わう名詩入門)


この詩の特長は、まずは、9行×3連の27行のうち、24行までが「いちめんのなのはな」で、一面に広がる菜の花の様子が伝わる圧巻さにあるだろう。


また、それぞれの連の後ろから2行目に、おのおの違う光景を描いていることで、一面の菜の花の静けさのなかに、彩りや動きを与えている。


さらに、最後の行だけを、句点の。(マル)をつけて締めている。見渡す限りの菜の花の様子のなかで、それでもどこかで風景が途絶えるという、菜の花畑の区画の区切りか、非現実的な世界からの精神的な区切りなのか、このマルが意図するところに答えはないが、たった一つのマルが効果的な使われかたをしている。


この詩は、山村暮鳥大正4年(1915年)12月に詩集に掲載し、101年前に生まれたものだが、今なお古さを感じない。視覚的には今でいうコピペの連続ともいえるが、これがシンプルそうに見えて、とても饒舌に見えたり、逆に、過剰そうに見えて静謐な光景にも見える。だから、この詩は、音読すればするほど難しい。


この詩を知ったのは、漫画家の里中満智子さんが「野の花のように」という作品で、詩を挿入していたからだった。それを古本で見たか人に借りたかで、子供の頃に読んだ記憶がうっすらとある。今回原作を探したが、あまりに古くて実物を見つけることができなかった。


コミックの世界観に、この詩が菜の花の風景画とともに紹介されていた場面に圧倒され、私が幼少期に一番最初にインパクトを受けた詩だと思う。言葉を扱う人間の一人として、ここまで無駄をそぎ落とした表現の深みは、憧れの境地で、本当にこの詩を大事にしてきた。


この詩をいろんなかたに紹介してきたが、特定個人にこの詩を贈りたいと思ったのは、草なぎさんが初めてだ。なぜかというと、この詩は草なぎさんのような詩だと思うからだ。


たんたんとした文字が並ぶなかで、挿入された一行がもつ躍動感や爆発性は、一見静かに見え、でも実は内に秘めたものを持つ草なぎさんのようにも思える。だから、まるでこの詩のような草なぎさんに、これを贈りたいと思う。


そして、この詩をいつか、草なぎさんに朗読してほしいと本当に思っている。このたんたんとした静かな光景に抑揚をつけ、その静かさのなかでわずかに揺れる景色の様子は、草なぎさんの声のトーンとか鼻濁音の響きにマッチすると思うのだ。これは、私が草なぎさんの朗読劇Reading 『椿姫』with 草なぎ剛 〜私が愛するほどに私を愛してを聞いたり、声のことを書いてきたからこそ余計に、草なぎさんの声で、ぜひこの豊饒さや静謐さ、奥行きのようなものを表現してほしいと思っている。


同じフレーズの繰り返しは平易になりがちで、誰にも読みこなせる詩ではない。だけど、草なぎさんならこの詩を読み解いて、独自の「風景」を見せてくれそうな気がしている。この詩のタイトルにあるように、「風景」を私たちは自分が自由に描くことができるはずだが、この風景の圧巻さや移ろいは、もはや声でしか立体化しない世界だと思う。一行ごとに変わる時間や空間、五感に訴えるような読み方を、草なぎさんはしてくれそうな気がするのだ。



今日は草なぎさんが想起される花ということで、菜の花を題材にした詩を紹介したが、他のメンバーもまた、花とつながるような話題があれば書いてみたいと思う。


それではコラボブログのバトンを、凪さんに渡します。


では、また。