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唐沢俊一検証blog

2010-08-17

「『宇宙戦艦ヤマト』はわしが育てた」補論。

03:25

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・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。

・1970年代後半に札幌アニメ関係のサークルに入って活動されていた方は下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。

karasawagasepakuri@yahoo.co.jp


 夏コミのレポートを書くには気合が要るので、とりあえず書けるネタからやることにする。楽しみにしていた人には申し訳ないがしばらくお待ちいただきたい。


 さて、『検証本VOL.3』に収録されている「『宇宙戦艦ヤマト』はわしが育てたでは、唐沢俊一が唱えている「『ヤマト』ブームは札幌から起こった」という珍説について検証しているが、補足したい部分があるので追記しておくことにする。

 『中洲通信』2008年1月号に掲載された唐沢俊一のインタビュー記事「オタクの老後問題を語る」で唐沢は以下のように語っている。

 それであるときに同じような活動(引用者註 『ヤマト』の再放送嘆願運動)をしていた先輩から誘われたんです。「実は西崎(引用者註 義展)さんが『ヤマト』を映画にして上映する。そこでいろんな地方のファンクラブ署名活動を御願いしている(原文ママ)。そこで会いたいと言ってるんで、一緒に来てくれないか」と。そこで、当時札幌には四つか五つぐらいのオタクの原型のような活動グループがあったんですけども、そのグループのリーダーが集まったんです。私も「スカーレット・スカーフ」(『宇宙戦艦ヤマト』の副主題曲である「真っ赤なスカーフ」をモチーフにしたグループ名)というグループのサブリーダーをやっていたので、その集まりに出かけていって西崎さんと話したんです。

 この後、『スター・トレック』の名前を出したら西崎義展に喜ばれたというおなじみの話になるのだが、ここで重要なのは「いろんな地方のファンクラブ署名活動を御願いしている」という部分で、それならば「『ヤマト』ブームは札幌から起こった」とは言えないのでは?ということに当然なるわけだ。自分で自分が唱えていた説を否定しているんだからしょうがない。

 このインタビューの中には次のような発言もある。

 その当時、特にアニメ関係のブームは札幌から始まると言われていたんです。

 もしかすると、この「アニメ関係のブームは札幌から始まる」という話とかつて自分が行っていた再放送嘆願活動が結びついて、「『ヤマト』はわしが育てた」に発展していったのかもしれない。しかし、「アニメ関係のブームは札幌から始まる」も本当なのかどうか。あと、

普通再放送といえば年に一回程度なのに、年に三、四回も再放送するんですよ(笑)

とあって、そのせいで西崎義展札幌に注目するようになったと言っているのだが、自分が調べた限りでは1975年3月から78年3月までの3年間に北海道で『ヤマト』が再放送されたのは3回なので、これも怪しい話だと思う。

 

 この他にも『検証本VOL.3』では、唐沢俊一の『ヤマト』関連の話がいかにブレブレなのかを紹介しているので、ぜひ読んでいただきたい。

うさぎ林檎うさぎ林檎 2010/08/18 09:16 タコシェで注文しました、読むのが一層楽しみになりました。
ヤマト本放送は変な時間にやるなぁと印象に残ったのでうっすらと覚えてます。それから再放送までそんなに間があった気がしないんですよね。年がばれますけど中学生の時には再放送で見ましたから、私と唐沢氏の年齢差を考えると「『ヤマト』はわしが育てた」説にずっと違和感があるんです。
検証本でこのモヤモヤが晴れるのを期待しています。

蘭月新十郎蘭月新十郎 2010/08/18 09:36 気になるのは「一緒に来てくれないか」「四つか五つぐらいのオタクの原型のような活動グループ」と、札幌のヤマトファン全体の話なのに「その集まりに出かけていって西崎さんと話したんです」って文章が締められている。読解力がない自分が斜め読みすると、一瞬“唐沢さん一人が西崎さんと話をつけたように”思えちゃうのですよね。細かいことというか、言いがかりなんですが「みんなで西崎さんと話したんです」って何で書かないのか不思議です。
あと、この時期はアニソンコレクターでラジオ番組にレコードを提供していた話も自慢げにかきますね。だけど、「ヤマト」以外のアニソンのの話が出てこない。ある意味、名曲の宝庫の時代なんだからいろんなアニソンのタイトルが語られてもいいのに出てこない。この話も人の話だと思ってます。

岡田斗司夫さんがこの話信じちゃっているってのもなんかありますね。情報ソースは知らないのですが、この手のブームは西から始まると聞いたことがあります。まさしく「ヤマト」は関西の学生のファンクラブ活動がよく言われますし。「DAICON」を主催した人が鵜呑みするとは思えません。自著(オタクはすでに死んでいるとか)で「ヤマトブームの起源は唐沢俊一の活動」と、あればまだ信じているんだ判断できますが、そういったものがない以上岡田さんのリップサービスだと思います。

長くなっちゃってすみません。おたく第一世代とやらより下の世代ですが、おたくを長くやっている身としてはすごく薄っぺらなオタク談義でに見えます。

ラーオラーオ 2010/08/18 16:37 検証本、タコシェで注文いたしました。
わたしもうさぎ林檎さんと同じで、ヤマト関連の唐沢発言にとても違和感があるので今から楽しみです。
で、ヤマト関係のおさらいをしてみたのですが、やっぱり時系列的におかしい。

>特にアニメ関係のブームは札幌から始まると言われていた
なんて、初めて聞きますよ。
北海道から火がついたヒット曲があるというのはよく言われていたと思いますが。
蘭月新十郎さんもおっしゃってるように、出ていいはずの話題が出てこないのも不思議です。
再放送嘆願運動の時期はそれほど違わないと思っていますが、これとほとんど抱き合わせのようにしてラジオのランキング番組へのリクエストもしていたんですが。
中洲通信の談話を読むと、サークルを作った時期とかなんだかどんどんもやもやしてしまった……

ポぷリポぷリ 2010/08/18 20:15 >kensyouhanさん
>その当時、特にアニメ関係のブームは札幌から始まると言われていたんです。
これにしても「『ヤマト』ブームは札幌から起こった」にしても、当時の「OUT」を調査すれば完全とはいえないまでも真偽が分かるのではないでしょうか?。
「『ヤマト』ブームは札幌から起こった」という事実が仮にあれば「ヤマト」を猛プッシュしてアニメ誌に方向転換してヤマトブームを支えた「OUT」が記事にしない可能性は低いと思いますし、
その前段階としての「特にアニメ関係のブームは札幌から始まると言われていた」というのも見逃すとは思えないのですが。
もし唐沢の言う事が事実ならOUT編集部の作成した記事や読者の投書に何らかの痕跡が残っているのではと思います。
当時の「OUT」を見付ける具体的な方法が分からないので机上の空論止まりですが。

やまだやまだ 2010/08/18 23:07 「Out」2号のヤマト特集の担当者だった、後の「アニメック」編集長、小牧雅伸氏が何か書いておられるかもしれません。
 もうウェブ上では消えているのですが、「あの頃ヤマトがすべてだった」という連載をやっておられたようです。

SY1698SY1698 2010/08/18 23:54 国会図書館での検索の助けになるかと考え、調べてみました。

請求記号 Z32-610
タイトル 月刊OUT : アウト
出版地 東京
出版者 みのり書房‖ミノリ ショボウ
出版年 1977-1995

所蔵情報
所蔵事項 2巻12号通巻21号(昭和53年7月)〜19巻5号通巻317号(1995年5月)
欠号情報 22,24,26,28,29,34,35,46〜62,64〜73,76,79,82,85,90〜92,100,130,149,151,152,158,160,183,214,278,280号

<ご注意>上に表示されない所蔵資料(巻号情報がデータベースに未入力の資料)が国際子ども図書館で利用できます。

とあり、所蔵巻が散っています(国会図書館と、国際子ども図書館に分かれている)のでご注意下さい。ちなみに、これは記事検索の対象となっていませんので、片っ端から見ていくという荒業が必要かと思います。

O.L.H.O.L.H. 2010/08/19 00:06  脳内札幌。

globotechglobotech 2010/08/19 00:17 >やまださんのおっしゃるウェブでの連載って、Webマガジン「トルネードベース」で連載されてた小牧雅伸氏、出渕裕、氷川竜介氏の鼎談ですよね。もう見られなくなってしまったんですか。残念です。
確か小牧氏が出した「Animecの頃…」(NTT出版)に合わせて行われた鼎談だったと記憶しています。

「OUT」に関しては、以下のサイトがありますよ。各号にどんな記事が掲載されてるかも書かれているので、SY1698さんの調べてくださった情報と照らし合わせると便利ではないかと。
http://homepage2.nifty.com/out-site/

やまだやまだ 2010/08/19 05:03 唐沢・岡田がオタク第一世代だと言うのなら、

小牧雅伸氏や氷川竜介氏や、「まんが画廊」に集まっていたような人たちはどういう世代になるのでしょう?
(高校生ですでに、長浜作品のメカデザインを描いていた出淵氏は別格として)

 「アウト」のヤマト特集の時に、小牧氏はまだ大学生のはずです。
 本当の意味で、「ヤマト」のファン・クラブを立ち上げて、映画化までの盛り上がりを作ったのは彼らの筈です。

ポぷリポぷリ 2010/08/19 07:06 米沢嘉博記念図書館が「OUT」を299冊所蔵しているそうです。
それから「OUT」2号のヤマト特集を手掛けた編集者は後に「ファンロード」を立ち上げる浜松克樹さんだそうですが、
「その当時、特にアニメ関係のブームは札幌から始まると言われていたんです。」
「『ヤマト』ブームは札幌から起こった」
といった面白そうなネタをスルーするような人じゃないですよね。あのKさんだし。
眠田直は「OUT」の執筆者でしたし、山本弘は「ファンロード」の投稿者でした。
この二人に唐沢・岡田を加えたのがオタク第一世代なら、それ以前から活動していて基礎を築いた人達は何と呼ぶのか?。
やまださんと同じ様な疑問を私も抱いています。
「オタク第一世代」も「『ヤマト』はわしが育てた」も先達の功績を掠め取る為の言葉ではないですかね。
岡田が唐沢の言うことに異を唱えないのもその辺に関係あるかも。

やまだやまだ 2010/08/19 07:54 岡田氏もアニメックで連載していましたよ。ゼネプロ講座。

岡田氏からすると、小牧氏世代はすでにプロの編集者で、自分たちはあくまでファン(アマチュア)だったというイメージがあるのかもしれません。
 もうゼネプロが活動していた時でも、「ビッグネームファン(有名なファン?)」とか呼ばれていた筈ですし。(ダンバインくらいの頃です。ファンロードのSF大会レポか何かで読んだ気がします)
 明るいイデオンのテレビ特番で、武田氏と双子の悪魔として出演していたのを思い出しましたけど、あれも、あくまで「ファン代表」みたいなものなのかなあ。
 ダイコンフィルムも、あくまでアマチュア・フィルムのつもりなんでしょうし。(でも、ビデオ売ってたけど)

 いずれにせよ、岡田氏なりの謎の線引きがあるのでしょうが。
 でも、すでにゼネプロの店を経営して、(原稿料が安くても)アニメ誌で連載していれば、現在の私の眼からすれば、充分プロだと思うのですが……。

kensyouhankensyouhan 2010/08/19 12:55 コメントありがとうございます。

>うさぎ林檎さん
実は北海道でも『ヤマト』の最初の再放送は早めに行われています。個人的には唐沢がいつ『ヤマト』をちゃんと見たのか見当をつけているのですが、機会があれば書いてみようかと。

>蘭月新十郎さん
アニソンのレコードを放送局に提供していた話もよく出てきますけど、レコードもコレクションしていたのだろうか。

>ラーオさん
『中洲通信』では札幌で商品のリサーチが行われていたことを根拠に挙げていますが、実例がないので説得力に乏しいですね。

>ポぷリさん
とりあえず自分としては「『ヤマト』のブームが札幌から起こった」という証拠はないことを示せれば十分だと思います。
「オタク第一世代」には他人の武勇伝にツッコミを入れないという暗黙の了解があるのかも。

>やまださん
小牧さんの著書を読んでみましたが、その辺はあまり書かれていなかったような。
ただ、「オタク第一世代」の誰かに聞いてみれば一発でわかることだと思います。オタクでない岸田裁月さんも「『ヤマト』ブーム札幌発祥説」を即座に否定されていましたが。

>SY1698さん
>globotechさん
情報ありがとうございます。
『OUT』について調べる機会があれば高千穂遥の方の「ガンダム論争」も見てみたいです。

蘭月新十郎蘭月新十郎 2010/08/19 13:22 やまださん
>この二人に唐沢・岡田を加えたのがオタク第一世代なら、それ以前から活動していて基礎を築いた人達は何と呼ぶのか?。
岡田さんは自著「オタク学入門」で、自分たちより先に活動していた世代を“原オタク人”と定義してますね。

「『ヤマト』はわしが育てた」発言も手柄横取りではないし、自分の利益に不利にはならない。こう見た岡田さんは唐沢さんのことを知識的にも、活動的にも絶対的な差があり、自分を脅かすことはないから「自分のオタクの引き立て役」くらいにしか扱ってないようです。唐沢さんと疎遠になったのも引き立て役の役割を終えたからと考えます。
岡田さんがゼネプロ(当時、私は中学生でしたがゼネプロの活動を「すごいことをしている人たちがいる」という目で見てました)で大活躍していたとき、唐沢さんは「ガンダム」論争や「FLIM1/24」の投書欄でクダまいていただけですし。この雲泥の差、つまり事実はいかんともしがたいです。

ポぷリポぷリ 2010/08/19 22:33 >岡田さんは自著「オタク学入門」で、自分たちより先に活動していた世代を“原オタク人”と定義してますね。
「元祖オタク」
「本家オタク」
「オタク本舗」
「オタク家元」
「正当オタク」
「神聖オタク」
「神武オタク」
「武烈オタク」
「継体オタク」
「縄文オタク」
「ブルボン朝オタク」
「ノブゴロド公アレクサンドルオタク」

もう、何でもアリやね(笑)

hATShATS 2010/08/19 22:55 やまださん
>もうウェブ上では消えているのですが、「あの頃ヤマトがすべてだった」という連載をやっておられたようです。

Internet Archiveには当時のデータが残っているみたいですね.

http://bit.ly/bLv1eM

ざっと見た感じでは, 札幌からブームが起こったようには見えないんですねぇ..

ポぷリポぷリ 2010/08/19 23:03 しかし、側から見れば同じ「オタク」に過ぎないのにそれを「オタク第一世代」だの「原オタク人」だのに細分化して、
その上自分の所属するトライブをことさらに特権化する人って本当にいるんですね。
「自分自身」じゃなくて「自分の所属するトライブ」というのが悪しきオタクの見本ぽいですけど。
連投すみませんでした。

金平糖金平糖 2010/08/20 00:03 北海道でのヤマト再放送は放送終了から6ヵ月後ぐらいのはずです。
近畿地方ではさらに早くから再放送がされたはずなのですが
どうにも資料が見つかりませんでした。
週末にでもまたちょっと調べてみようと思います。

まあ、どちらにせよ唐沢氏がヤマトとであったときには
すでに人気が燃え上がりまくった後なのでブームの火付け役ではないですね。

kensyouhankensyouhan 2010/08/21 00:20 コメントありがとうございます。

>金平糖さん
仰る通り北海道での最初の再放送は75年9月からスタートしています。『検証本VOL.3』でも取り上げました。

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