はしけんブログの復活  ”私の履歴書“スタート

しばらくのご無沙汰でした。
2016年のご挨拶いらい止まっていましたがまた“はしけんブログ”を復活します。

一昨年いらい会社組織の見直し変更や人の移動がありました。
それに伴って昨年ホームページの内容も刷新、その時点でしばらく“はしけんブログ”の中断となっていました。

ケンテックスは今、組織の若返りで生まれ変わり新たな第二の創業の時代に入っています。

二代目ブログにありますように会社のリーダーはエネルギーのある二代目(息子になります)にバトンタッチし私は会長として引き続きケンテックスの後見役として見守りを行っていきます。

今後は会長としての比較的自由な立場で再び皆さんにあれこれと私の声をお届けしていきたいと思います。

思えばKENTEXというブランドを立ち上げたのが1998年ですのでかれこれ20年になります。
スタート時はヨチヨチ歩きのマイナーなものでしたが“いいものをリーズナブルに”という理念のもとに元来の職人気質の根性も加わって“より完成度の高い本物”をめざしたモノづくりを続けてきた結果、おかげさまで最近では業界や一般の方からもいいものを作っている会社という評判も頂けるようになりました。

何事も続けることが大事ですがかろうじて20年間にわたり続け通したことで内外で少しは知られたブランドになってきました。

陸、海、空というスポーツモデルに始まり自衛隊時計の製作、ESPYやコンフィデンスなどのクラシックモデルそしてそれらの機能をすべて集結させた究極の実用ウォッチCraftsmanへと私の時計づくりは日をたつごとにエスカレートしてきたように思います。


私にはこれまで作ってきた数々のモデル一つ一つに思い出があります。
どのモデルにも自分の魂を入れまさに自分の子供のような思い入れがあります。

そして時計をつくるごとにさらに欲が出て、より上を目指した時計造りへと昇華してきました。

私の時計造りの人生でそのほぼ最終ステージに生まれたのがCRAFTSMAN(S526MおよびS526X)です。
ここにそれまでの技術とデザインを結集したまさにケンテックスらしいマスターピースが出来上がったように思います。

また同じく最後に手掛けたS706Mマリンマンもこれまでの時計作りの技術やセンスが凝集された完成度の高いモデルとなりおかげさまで時計のプロからも高い評価を得ており引き続き多くの時計ファンの支持を得ております。

このマリンマンは今後もケンテックスの代表的なダイバーモデルとしてさらに多くの人に評価され愛用されていくように私たちもさらなる本格ダイバーへとブラッシュアップしていくことを考えています。

本格的なダイバーズウォッチというのは高い技術力が必要なのはもちろんですが時間と費用も通常モデルに比べて大きくなり製作へのエネルギーが必要になります。
初期ステージで“いいモデルを作りたい!”という強い意志がないとなかなか結果としていいモデルは出来ません。

現在次期モデルとして本格的な500M以上の高圧潜水防水の企画に向けて開発が始まったところです。
まだ時間はかかりますが市場には希少な本格潜水ダイバーモデルの登場となりますのでダイバーウォッチファンはぜひ注目のうえ期待してください。


さて私はすでに一線を引き会長という立場になりましたので自分の時間はずいぶん自由になりました。
会長というと聞こえはいいですが分かりやすくいうと窓際族で大した仕事はしてません。

これまでの時間に追われる生活から一転して時間に余裕が出てきました。
しばらくは健康に留意しながら会社の後見役と自分のやりたいこととのバランスを見つけていくことかと自覚しています。

第一線から一歩引き寂しいと感じる面もありますが、ま、自由な時間が増えてきたのだからありがたいと考えるようにしています。

ただ元来がアート好きのメカ屋で職人気質なためケンテックスの新モデル開発だけは目が離せません。

今後もケンテックスの名を落とすことのないようそしてさらにレベルアップしていくよう時計の出来栄えには目を光らせていくつもりです。
ケンテックスを購入された方々やケンテックスファンをがっかりさせることはしたくないですから。
(調子に乗ってあまり出過ぎてもいけませんが)

私は今年3月の誕生日で古希を迎えました。
年を言うといつもびっくりされるのですが実は若いころはいつも年少(ガキ)にみられることが多くそれが劣等感になりどちらかというと年を言うのを控えていました。
ところが50を過ぎたころからは若く見られるのも案外悪くないなと思うようになりました。

今はあえて隠してもしょうがないので聞かれれば正直に応えますがそのたびにびっくりされるのは正直面倒であまり好きではないんです。


今こうして第一線から離れKENTEXという会社に距離を置いてみる機会を得てこのへんで私の50年の時計人生を振り返ってみたいと考えるようになりました。

私がなぜ時計の仕事に入ることになったのか。
なぜ自分のブランドを立ち上げたのか。
どんなふうにケンテックスモデルを作ってきたか。
その思いやモデルづくりの苦労話など。

子供のころの思い出なども含めてこのブログを借りてこの機会に自分の歴史を振り返ってみたいと思っています。

私が毎日購読している日経新聞に”私の履歴書“という欄がありますが生い立ちと人となりを記したその文章をいつも興味深く拝見しています。
ほとんどの方が名を知られた有名人ですが出生から生い立ち、出身学校の思い出、そして仕事人生の記述など読んでいてすごいなと思うところがたくさんあります。
非凡な方が多いですがみなさんそれぞれの人生を歩んでこられています。

私のような凡人には功成り名を遂げた方たちのすばらしい歴史にはとてもかなわないし自分の過去を暴露するのも少々気が引けるのですがそれでもケンテックスファンやこのブログを読んでいただける方には少しばかり関心を持っていただけるかもしれません。
プライベートな内容も含まれてくるかと思いますがそこはご容赦ください。

私はたまたま時計という時を扱うモノに人生の大半を関わってきました。

機械式から始まり、クオーツへと進化しソーラー、電波、GPS、そして今はやりのスマートウォッチへと時代は変わりました。
時代はアナログからデジタルへと進化しました。
しかしそれらとは一線を画した機械式時計はまるで生き物のようにいつまでも愛着の持てる男の道具ではないでしょうか。

人にドラマがあるように時計もまたそれを持つ人とともにストーリーを積み重ねていきます。
ケンテックスはその人の歴史とともに寄り添っていけるような、親から子へと時代を超えて引き継げる愛着の持てる時計を作り続けていきたいと考えます。

このブログでは以前のようにケンテックスや時計のテーマでまた進めて行きたいと思いますがそのメインは二代目ブログのほうに任せてはしけんブログでは次回からケンテックス版創業者の“私の履歴書”、副題“私の時計造り人生記”を語っていきたいと思います。

しばらくの間、お付き合いいただければ幸いです。