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某ブログにコメントしようと思ったら、長杉になったので、ここに置いておこう。
−−−
こんにちは。
人間も含めた生物は、なんやかんだと言いながら、総じて探究心旺盛なモノでありますね。人間は外に向かってフロンティアを拡大して行ったが、残るフロンティア(探求する未知の部分みたいな意味です)は、「人間」というとっても身近なところしか無くなったのかも知れない。
・・・とSF作家さんかな?が書いていた記憶があります。
そして、経済学という科学ではないジャンルでも人間の「心理」という内面に踏み込む研究(?)が進んでいますね。行動経済学とかザッパに言われていますが。
でも、そんなものを今更、「研究」し始めるのがおかしいと思うわけで。私なんかは、経済と心理は不可分なものであると云十年前から、先んじて考えていました。エッヘン。
で、先日、話に出た欲望縮小理論の対極かもしれませんが、
有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)
The Overspent American: Why We Want What We Don’t Need
先に述べたように、いずれも「縮小」とは対極なので、ちょっとズレているかもですが、
の「コメント欄」が面白いですよ。
についてなんだけど、元ネタである、
から読んでみましょう。あ、その前に、書いたのはanondだけど、私ではないです。anondについては後述しましょう。
さて、読んでみましょう。
色々いいこと書いてるんだろうけど感動したことはないし,なるほどと思ったこともない。大抵,読み終わった後ちょっと不快になる。なんなんだろうこの感じとずっと思ってたんだよね。
感動したことは確かにないなあ。でも、調べてみたいとか、書いてみたいと思うネタという「いいこと」に「なるほど」と思うことはあるね。例えば、http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080303/1204524073とか。
で、不快になるというのは同感。でも、それは読み手がスルーすべきものだと、最近は思ってきた。当たり前のことだけど。読者の「スルー力」(死語かな)って、考えてみればおもしろい。単純に読まなければいいのだけど、ついつい日々巡回してしまう。そこで、読み手が「不快」感を抱いたら、そりゃおかしいや。
最終弁当氏もこれについて言及してたんだけどさ,「ようつべのリストが良かったのかな」とか,「ここらへんは実はちょっと違う」とかそういう態度なんだよね。(略)世の中を皮肉的に捉えるという。そういうとこあると思うんだよね。
引用中の「これ」は、http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-322.htmlのことだけど、たしかに「ようつべのリストが良かったのかな」*1とか、(多分)普通の人はわざわざ書いたりしないね。単純にクラシック音楽の入門エントリ(?)として、あるいは元ネタが2chであり、そのヤリトリが「受けた」と思う。
で、「受けた」っていうのは人気エントリになったと言うことだと思うけれども、別に他者が書いた、あるいはまとめたエントリが人気になったっていいじゃん。そういう気に仕方が、言葉は悪いけれども、「枯れたふりして脂ぎっている」と思われる一因じゃないかな?
でも最終弁当氏が叩かれてるのってあんま見ないのね。なんでかなーと思ってたんだけどこういうことなのかもしれない。ブログを書くにあたって,叩かれないようにしながら一定の位置を確保するという目的に照らし合わせると,最終弁当氏のやりかたってのはひとつの結論なのかもなーとか思う。
叩かれないように書いているというのは、私も感じるな。で、叩かれた時に弱い気がする。はてブ上での批判的なコメントも結構気にして、エントリに再掲、というか晒したりしているし。でも、弱さ(?)*2を自覚しているとしたら、それはそれで立派だと思う。
ただし、弱さの中に秘めた影響力を駆使して、他者をやっかいな問題に誘導していたのは、ムナクソ悪くなったな。「誘導していた」については、本人や他者には自覚が無いかも知れないけれど、私は「誘導していた」と今でも思っている。最近は、影響力の大きさも含めて自覚されたのか、自重されているようで、それがあるべき姿だと思うね。
次に、長々と書いたanond氏に対するfinalventさんの応答を見てみましょう。
私は人生の敗残者。
久しぶりにお見受けしました。ネガログ十八番。で、まとめはこう来る。
でも、そう受け取らない人もいる。それはそれでいいんじゃないか。
ちゃんと分っているじゃないですか。というか、こういうところが「皮肉的に捉える」と思われたり、皮肉的に返すということなんじゃないかな?
BS hiなので見れない人もいるかもしれないけど、見られたら見るといいと思う。
まあ、ここがfinalvent節ですね。どこがどうとは書かないけれど。
anondになり、「http://anond.hatelabo.jp/」を書くには、はてなIDを持っていれば可能で、はてなIDを晒さずに「匿名」で書けるらしい。例えば、私が書くと「kerodon」という匿名(1)が、anondという匿名(2)に、変換される。マッチョを召還することなく。
で、不思議に思ったのは、わざわざ自IDのダイアリーを持っていながら、anondで書くようなエントリをfinalventさんが気にするのかなあ?ということ。たしか、「アクセス数が500に満たないブログはスルーが吉」と書いていたし。
anondが「アクセス数基準」を満たしていると仮定しても、anondという匿名(2)で書かれたようなエントリに、(おそらく)怒っていては、疲れてしまうだけだと思うな。「スルー力」という格好良い力の次元ではなく、例えば2chの活気ある殺伐としたスレッド*3で暴れてみれば、気にならなくなると思う。
あと、もっと不思議に思ったのは、
って、id:finalventやfinalventさんエントリurlが入っていないから、トラックバックは飛んでないと思うけど*4、よくみつけて来たなあ、ということ。ブログ検索とかで「最終弁当」とか入れてチェックしているのかな?
−−−
まあ、結論としては、アクセス数が云千、云万のブログの書き手なんだから、色々の意見、感覚を持った読者が居て、そこから放出されるブツとか、評価なんかは覚悟すべきことだと、過疎ブログの書き手の私は思います。
ふむふむ。
を読んで、今更ながら気が付いたんだけど、
君の年収分を賭けてもいい。
私は、「君の」を「私の」みたいに読んでいた。流し読みだったから。
で、これについて、fromdusktildawn氏は次のように述べている。
repon氏の年収分を賭けてもいい」というのは、なんか違和感を感じた。証明も反証もできないことに賭けてもいい?そんなの、誰だって気軽に言える。つまり、何かを賭けているフリをして、その実なにも賭けていない。
ジョークとして言う分にはありかもしれないが、あれはジョークというより、単なる言い過ぎだ。だから、そこのところが、いやな感じがした。*3
で、*3も引用すると、
その上、「私の年収」と言わずに「君の年収」と言うあたり、彼ならリアルに普通に、さしたる痛みもなく払える金額なのが、保険かけてる感じだよなぁ、と。
いや、「何かを賭けるフリをしてなにも賭けない」や「保険かける」ことこそが、マッチョがマッチョである所以じゃないのかな?そういうことに、「いやな感じがし」ちゃう人が、
を書いていることが不思議だな。
で、fromdusktildawn氏は、
じゃあ、ダンコーガイは、repon氏に対して間違った記事を書いたのか?というと、それも疑問。(略)
repon氏にしてみたところで、感情的なわだかまりを捨てて、
「へー、マッチョはこう考えるんだな。
少なくともあのときのおれにゃできなかったけどな。
でも、今後の参考になることもあるかもな。」
ぐらいに読んでおけば、さして問題はない。
とマッチョも参考になると書いているけど、個人的にはこちらのエントリを読むことを勧めるなあ。
自分という母体すらきちんとまともに機能してるんだったらそういうことはできるし、逆に自分の尻が拭けない奴が他人の尻を拭くってのはちょっと違うんじゃないかと。
この辺り、厳しい言葉で書かれているけど、ダンコーよりサンコーになると思う。私は、マッチョな人間の言葉よりも、タフな人間の言葉に重みを感じる。
釣堀か皮肉か分らないけど、
本当に優れた知性を持っているなら、相手の気持ちを気遣って、触れちゃいけないところには触れない、という大人の対応ができるはずだ。
それが出来ないと言うことは、思慮も自制心も足りない、ガキなんだよ。はっきいって、知性が足りない。愚かで下劣なんだよ。
これが、マッチョなんじゃね?ガキじゃなくて。
優れた知性がどうたらではなく、他人への思慮と自らの自制心を持たないで、ゴリゴリと進んでいく。相手の気持ちを気遣ったらオチコボレ。そうこうして、運と環境が良ければ、一人前のマッチョが完成。
いや、「私は人生の敗残者。」ですけどね。