烈士山公園


今日は、いい天気で暖かいので、昼食後散歩へ。今回も地図上では知っていて、まだ行ったことのない「烈士山Lieshishan公園」へ行ってみました。学校から歩いて45分くらいでしょうか? 名前の通り、頂上に「革命戦士」の慰霊塔(1978年建立)のある小山で、麓には池があり、春には緑豊かな公園になるんだろうと思われます。内戦後の1952年に、抗日戦争の戦士を含め、慰霊するために作られたと説明が書いてありました。慰霊塔の文字の修復をしてました。慰霊塔への正面階段からは、市の中心「勝利広場Shengli guangchang」のロータリーが見えます。写真では見えませんが、市政府(市役所)や公安(市警察署)などのあるところ。そこから左に行くと鞍山駅で、その辺りが新しい商城(ショッピングセンター)などがひしめく繁華街。でも、他の方角はまた違った風景を見せてくれます。この方角が一番近代都市風の風景です。帰りは、近くを232路のバスが通っているはずと思い、探しましたが、方向感覚が狂って違う方へ歩いてしまい、途中で気づいて戻ったりしたので、結構長い距離を歩くことになりました。予想通り、公園を出て少し行ったところで232路のバス停を発見。「山南小学Shannan xiaoxue」というバス停。日本風に読めば「やまなみ小学校」? 師範学院までは、232路バスで10分ほど。結局、3時間コースでした。

春暁(孟浩然)

別に昨晩、風雨の声が聞こえたわけではありませんが、21日の日記にコメントいただいたので、あらためて・・・。
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
最後の「結句」の書き下し文、いろいろあるそうですね。本来は中国語なのに、勝手に日本語読みするんですから、好き勝手に読めるわけですが、今の教科書には「花落つること知る多少」となってますね。中国語としても「古典」ですが、現代中国語の知識で言えば、「多少duoshao」は疑問詞ですよね。「多少銭」は「いくら?」です。そして、やはりポイントは「知」でしょうか? 日本語の「知る」「わかる」の意味でしょうけど、「知多少」という中国語の文法構造は、そのままでは日本語に対応しない。だから、どう訓読しようとしても無理があるんですね。「知る多少」じゃ、日本語になってないですよね。意味のわかんない日本語になっちゃうけど、まぁいいや、みたいな。だから、書き下し文から「意味」に直すのが、また一苦労で、「どうして、この書き下し文から、この意味が導き出されるのか」が、わからなかったりするわけです。ちなみに、手元にある、東京書籍の「国語総合資料集」には、井伏鱒二の「厄よけ詩集」が紹介されていて、そこには17編の漢詩が翻訳されているそうです。現物を見たことないんで、どなたか確認してください。それによると・・・
ハルノネザメノウツツデ聞ケバ
トリノナクネデ目ガサメマシタ
ヨルノアラシニ雨マジリ
散ツタ木ノ花イカホドバカリ
・・・うまいと思います。

名古屋のぱれーど

3月27日(日)に『脱原発を歩こう!〜ストップHAMAOKAぱれーど〜』というのが、名古屋であるそうです。高校を卒業したばかりの若者たちが企画したそうです。エネルギー政策問題に関して議論し始めたらキリがないし、電力会社だけの問題じゃないですが、「今」だから動こうというのは理解出来ます。また、既存の運動家ではない若者たちの行動ということで、応援したくなったので、遅ればせながら賛同メールを送りました。
脱原発×STOP浜岡