子どもでいながら、おとなの事情も同時進行で読み取る感覚が子どもにはある。なぜなら、子どもだから。子どもは生きていくために親に忖度するのが仕事だから。ケストナーはその前提を崩さない。まだ読んだのは二作目なのに、この物語でそれをありありと見せられました。 読者を下に設定しない前提での語り口という点では、物語の途中で突然こちらを向いて話しかけてくる江戸川乱歩や、ほかにもそういう作品はあるけれど、この『ふたりのロッテ』で作者が第5章で行うシャーリー・テンプルの話の引用は格別。 読者を絶対に下に設定しない、という信念とリスペクトがビシビシ伝わってくる。この部分について気になって調べたら、なんとシャーリー…