マラト・サフィン
Marat Safin
誕生日 1980/1/27
データ 193cm 88kg
生誕地 ロシア
利き手 右
バックハンド 両手
ラケット LIQUIDMETAL Prestige MID
13歳でその才能を見出され、19歳までスペインのバレンシアに拠点を移し、テニスの練習に励んでいた。気性が激しく荒削りだが、その豪快なプレースタイルは、早くから専門家の目に留まっていたが、1998年に「ニューカマー・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、17歳でプロに転向。その年のチャレンジャーズで11勝5敗という成績を収め、一気に200以上ランキングを上げると、その翌年には全仏オープン、USオープンに登場し、世界のトップ50入りを果たした。1999年に初めてツアー・タイトルを手にし、2000年には、USオープンの優勝を含むツアー7タイトルを勝ち取る。その翌年の始めから腰痛に悩まされ、後半は左膝を痛めたが、2002年は全豪オープンでいきなり準優勝と快調な滑り出しで、パリのマスター・シリーズで優勝するなど、2年ぶりにトップ3入りを果たし、マスターズ・カップ出場や、ロシア代表として臨んだデビス・カップで見事ロシアを優勝に導いた。2003年1月に、今度は右肩を痛めてしまった。復帰しては休養するを繰り返し、結局、99年以降続いていた、ツアー優勝も、この年は達成できず、97以来初めてトップ50から脱落してしまった。しかし、2004年、サフィンは不死鳥のようによみがえった。全豪オープンでいきなり準優勝し、ランキングを86位から32位へとジャンプ・アップさせると、4月のポルトガルで準優勝、モンテ・カルロでベスト4、ローマ、ハンブルグで3回戦、全仏オープンでベスト16と着実に好成績を残していった。USオープンでは1回戦負けと不覚をとったが、アジアへ入ると快進撃を続け、北京で優勝、バンコクでベスト4、マドリッド、パリとマスター・シリーズ連続優勝と、中盤の不調が嘘のような活躍で、マスターズ・カップにも2年振りに出場しベスト4入りし、最終ランキングも4位でシーズンを終える活躍だった。
このタイトルで、一瞬で当時を思い出せる人も多いでしょう。それくらい印象的な試合でした。2005年シーズン最終戦、マスターズカップ上海。 2005年 欠場選手 出場選手 決勝 D.ナルバンディアン 2005年 この年はフェデラーナダルによる「2強時代」の始まりです。2人はマスターズカップまでに、グランドスラムを含め年間なんと11勝。マスターズシリーズも共に年間4勝。マスターズ年間4勝自体、史上初めてのことを2人同時に。それでもやはり"王者"フェデラーであって、「誰がフェデラーを倒すのか?」これは2004年から変わりません。ナルバンディアンは年間2勝。グランドスラム3大会でベスト8。デ杯は4戦して…
2005年。19年も前です。フランスのガスケは2005年4月18日付からずっと世界ランキングトップ100でした。 世界ランキングトップ100とは 2005年4月 モンテカルロ大会 モンテカルロ準決勝 2005年5月 ハンブルグ大会 2005年後半 R.ガスケ 世界ランキングトップ100とは 「世界ランキングトップ100」というと、テニスファンなら1度は聞いたことがあるかもしれません。それが"全テニス選手の目標"これを明言する選手は多いと思います。ガスケは連続にして926週。これがどれ程の評価になるのかはわかりませんが、2005年の同じ日にトップ100にいて、今も現役の選手はナダル、ベルダスコの…