おくの・しんたろう(1899年〜1968年)、中国文学者・慶應義塾大学教授。
明治33年、東京麹町に生まれ、昭和43年、東京浅草に死す。軽妙洒脱な話術と格調高い文章で知られ、学界のみならずジャーナリズムでも活躍した。随筆、翻訳多数。
知恩寺秋の古本まつり、今年は初日は都合が悪く、3日目になりました。チャリティオークションが4年ぶりに開催されていて、久しぶりに懐かしい掛け声を聞きながら、古本を眺めました。 キクオ書店、竹岡書店の3冊500円均一棚は、3日目とあって荒らされ尽くして見る影もなく、かろうじて、三密堂書店の3冊500円棚で、一束買うことができました。 宇井無愁『阿蘭陀めがね』(東光堂、昭和18年3月、167円) →表紙を見れば買わないわけには行かない。 川田順造『母の声、川の匂い』(筑摩書房、06年1月、167円) 『桑原武夫全集6 世界遊記』(朝日新聞社、昭和43年12月、166円) →航空運賃も高くなって海外も…
物価が上がっても 俺は知識習得は無料でやっている 我が家には放送大学もある もちろん俺だけではないが テレビ大学もある テレビは大学の講義と思って見ている ラジコという大学もあるのだ。 高校時代旺文社の大学受験講座を聞いていた 高校の授業よりずっとおもしろかった 一流大学の先生たちが講義していたので NHK高校講座も楽しんだ 受け身なのがよかった あてられる心配がなかったから 遊び感覚で講義が聞けた 社会人になってからはNHKテレビで人間大学などの 講義が長く続いていた 湯川秀樹の弟貝塚茂樹さんや京都大学の中国文学の先生たちの講義もあった 吉田松陰は立命館大学の奈良本辰也先生にテレビで学んだ …
小林秀雄『本居宣長』は、小林が折口信夫の大森の家を初めて訪問し、『古事記』について尋ねての帰途、駅まで送ってきた折口が、《お別れしようとしたとき、不意に、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さようなら」と言われた》というエピソードから始まる。 大森駅まで一緒に送った住込みの弟子岡野弘彦によると、「小林さん、本居さんはね、なんと言っても(・・・・・・・)源氏ですよ」と改札口を挟んで切羽詰まって発したことが記憶に残っているという。小林は『本居宣長』冒頭でこのエピソードを印象づけはしたものの、宣長が『源氏物語』に『古事記』よりもさらに深い思いで入っている、さらに深い愛情を注いで読み込ん…
ワシントン・スクエアの西側の古びたアパートに貧しい芸術家たちが住んでいる。そのなかのひとりジョンズィが肺炎を患った。診察した医師はジョンズィの友人スウディに、病状よりも生きる気力が問題だと告げる。医師が懸念した通り、心身ともに疲れ、人生になかば投げやりになっていたジョンズィは、窓外の煉瓦の壁を這う枯れかけた蔦の葉を数え、「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」と口にするようになる。 一晩中激しい風雨が吹き荒れた日の翌朝、とうとう蔦の葉は最後の一枚になった。次の夜も激しい風雨が吹きつけるが、最後の一枚となった葉は朝になっても壁にとどまっていた。それを見たジョンズィはスウディに語る。 「スウディ、わ…
この長春有情を検索したら 2月に始めたことがわかった 日記で検索すると2月8日に初めていた。 今になれば3月20日に脳梗塞で入院したので、2回の入院生活にラジコがとても役に立っていた。 まだ1年いもなっていないのだ。思いがけなくも沖縄の民謡番組を聞くだけの目的で始めたのだったが、沖縄の懐メロ番組、鹿児島の番組、熊本弁のラジオ番組に出逢えるとは想像もできなかった。人間を知ると言う意味では、ラジコは大きな影響を俺に与えてくれた。沖縄のアナウンサー柳卓さんなどはこのラジコがなかったら、とうとう出逢わずに終わったかもしれない。沖縄の懐メロ番組沖縄民謡の番組ではない。沖縄の人たちが懐メロにも関心があり興…