今回は肥後国球磨郡人吉を鎌倉時代から明治維新まで治めた相良氏についての記事です。遠江国相良荘を名字の地とする相良頼景が人吉に下向したのが始まりで、以降は多良木荘、人吉荘を一貫して明治維新まで治め、子爵となった。 目次 相良氏の系図 戦国時代の相良氏と一族間の内紛 参考文献 人吉の写真 相良氏の系図 相良氏の系図 相良氏の系図。相良氏の男系は頼央の代で絶え、以降は他家からの養子が続く。 戦国時代の相良氏と一族間の内紛 戦国大名としての相良氏は、相良堯頼の後継として分家から入った11代当主相良長続の代に萌芽する。長続が球磨郡を統一して地盤を固め、その後球磨・八代・葦北三郡を領有した。その子為続は戦…