関根潤三

スポーツ

関根潤三

せきねじゅんぞう

50〜80年代のプロ野球選手・指導者。

右投左打、ポジションは投手外野手背番号は19番。

1927年3月15日生。東京都出身。

法政大学を経て、1950年近鉄パールス(後の近鉄バファローズ)に入団。

大学時代からの盟友根本陸夫バッテリーを組む。

1957年投手から外野手に転向。投手野手両方のポジションでオールスターゲームに出場した唯一の選手であった。

1965年読売ジャイアンツへトレード移籍。同年引退。

1970年広島東洋カープの打撃コーチに就任。

1975年読売ジャイアンツヘッドコーチとなったが、最下位の責任を執り翌年二軍監督に降格。

1982年横浜大洋ホエールズの監督に就任。

1987年ヤクルトスワローズの監督に就任。

監督時代は意外にも口より先に手が出る熱血漢で、成績こそ振るわなかったが選手の育成には定評があり、

カープでは衣笠祥雄水谷実雄を、ホエールズではスポーツカートリオを、

スワローズでも池山隆寛広澤克実らを育てた。

退団後はフジテレビニッポン放送野球解説者を務める。

穏やかそうに見えるがその割りにかなり厳しいコメントを下す球界ご意見番


2003年、野球殿堂入り。

2004年、大阪近鉄バファローズの消滅に関して、スポーツニュース内で印象に残るコメントを出した。

同年、バファローズOB会長を鈴木啓示に譲る。