語り継がれねばならぬことというものは、やはりあるのだろう。 リテラシーなんぞという言葉を、学生時代には知らなかった。外国語に堪能なかたは、お使いだったのだろうが、少なくともメディア用語としては、登場していなかった。今では、私ごとき一知半解のヤカラまでが、平気で口にする言葉となっている。ほとんどの外来語と同じく、広く人口に膾炙するにつれて拡大解釈されたり捻じ曲げられたりして、原意の厳密さが擦り減ってきていることだろうけれども。 みずから一次情報にまで遡って、動かしがたき事実を確かめながら、各人独自に判断ができる、良い時代になったという人がある。本当だろうか。 検索機能が確保されてあることと、活用…