・弘仁14年(823) 4.16 嵯峨天皇からの譲位を受け、大伴親王が践祚した(淳和天皇)。(『日本紀略』) ・弘仁14年(823) 4.16 淳和天皇は、嵯峨前帝に太上天皇号を贈ろうとした。一度は辞退されるが、淳和天皇は再び詔を発し、尊号が贈られた。(『日本紀略』) 以降、新天皇が前天皇に太上天皇号を贈ることが慣例化され、一度辞退のうえで再び尊号が贈られるという尊号の儀が成立した(荒木敏夫「「譲位」の誕生」『天皇はいかに受け継がれたか』)。 ※嵯峨太上天皇と平城太上天皇の対立は、平城太上天皇が譲位後も天皇と同等の権限を持っていたことに起因していた。そのため嵯峨太上天皇は直接政治に関与すること…