プロ野球選手。電光掲示板では「高橋信」と表示される。
右投右打、ポジションは捕手→内野手。背番号は62→30→2→31→6番。
1978年8月7日生まれ。岡山県出身。
津山工業高校から1997年、ドラフト7位で日本ハム・ファイターズに入団。
応援歌でも「美作男児の心意気 進め誇り高く」と歌われている。
2003年、正捕手の座を勝ち取り、2004年からは本塁を守り続けている。
2006年、鶴岡慎也らとのポジション争いもあり、出場機会が減少。
千葉ロッテマリーンズ戦に強く、活躍を見せる。
2007年は打撃で練習の成果が現れ、坪井らと一緒にベテランの意地を見せる事が多くなった。
2008年度から、小笠原がつけていた「2」番を継承し、記者会見でも恐れ多いようなことを言っていたが、2番と言えば高橋と呼ばれるようになりたいと決意を新たにした。
梨田監督就任後は、試験的にファーストを守ったり、4番に入ったりと、新しいチーム作りに伴い新しい可能性を試している。打者としてはここ一番のホームランといった打撃力も見せ、今年の飛躍も見逃せない。
鶴岡いわく、「シンジさんが「必要な時だけマウンドに行け。あとは俺がいくから」と言ってくれるので非常に楽」だそうである。(ファイターズマガジン2008年6月号参照)
2011年開幕前に頭部への死球による負傷に加え、右の切り札に二岡、長距離砲のファーストにホフパワーが起用されるようになると、出場機会が激減した。
2011年シーズン途中に、金銭トレードで読売ジャイアンツへ移籍。翌年、オリックス・バファローズへ移籍。
年度 | 所属 | 背番号 | 備考 |
---|---|---|---|
1997-1999 | 県立津山工業高校 | - | 甲子園出場なし |
1997-2011 | 日本ハム・ファイターズ 北海道日本ハムファイターズ |
62→30→2 | 1996年ドラフト7位 |
2011 | 読売ジャイアンツ | 31 | 金銭トレード |
2012- | オリックス・バファローズ | 6 |