豊臣秀吉。(提供:アフロ) 今も世界レベルでいえば、権力者が反対勢力の人物を捕らえ、見せしめのために残酷な刑罰を科すことが珍しくない。それは豊臣秀吉も同じことで、見せしめのために残酷で無慈悲な刑罰を科した。このうち、特に残酷な刑罰の例を3つ挙げておこう。 ◎門番にえげつない刑罰を科す 天正17年(1589)2月、秀吉が住む京都の聚楽第の南の鉄(くろがね)門に、秀吉を揶揄する「落書(らくしょ)」が貼り付けられていた。「落書」とは、人々の目に触れる場に匿名で、政治風刺や批判、揶揄した文書を掲示することである。これを知った秀吉は、当然ながら激怒した。 犯人がわからないこともあり、秀吉は門番衆7人の責…