東京大学の附置研究所の一。
史料編纂所は、「日本に関する史料及びその編纂の研究、並びに研究成果による史料集出版を行うことを目的とする」(「東大規則」第73号「東京大学史料編纂所規則」)東京大学の附置研究所です。 明治以来の史料蒐集並びに研究の蓄積を背景に、現在では日本史の研究の最大の拠点の 一つであると同時に、国内外の研究者その他に対する所蔵史料の公開、史料集の出版、 そしてデータベースの構築・公開を通じて、歴史学の発展や一般への知識の普及に大きな 役割を果たしています*1。
*1:http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/intro.html
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 洋画の派手さこそないがどうしようもなく心にしみる…それこそ邦画の最大の魅力 洋画の派手さこそないがどうしようもなく心にしみる… それが邦画の良さだと思う。 昔は当たり前のように洋画一択だったが、近年の邦画はなかなかバカにできない。 製作費でハリウッドに勝てないならシナリオと演出と演技で勝負といわんばかりに、邦画のクオリティーは年々高くなっている。 たしかにハリウッド映画は華やかで見栄えもするが、どうしても大味になってしまっているように感じる。 演出的にはどうしても地味な邦画ではあるが、シナリオ…
8 謙介京に上る 文久2年5月以降で、大野謙介の姿を確認できる史料は、管見にして「住谷日記」のみである。僅かな断片記事ではあるが、その記述を追ってみよう。まず、5月11日の条に「大謙下り願不済事、圭木も下リハ六ケ敷様子也」とある。謙介の水戸下向の願いが実現していないということか。「圭木」の誰かは不明である。それから4カ月近くを経った9月2日の条にも、「大謙ゟ之状届不申此後之便ヲ待候外ナシトゾ」と記されている。そして同月26日には「此夜池田(旅籠池田屋)へ飯村(俊蔵)、川又(才助)、大野等尋来候よし也」、とある。住谷は、9月20日水戸を出立し、当時は江戸に滞在中であった。 翌11月3日の条には、…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年4月3日 YAHOO!JAPANニュース「【光る君へ】朝廷で話題になった「尾張国郡司百姓等解文」には、何が書かれているのか 渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役 京都御所(写真:イメージマート) 今回の大河ドラマ「光る君へ」では、朝廷で民衆からの訴えをどう扱うかが議論されていた。その際、話題になったのが「尾張国郡司百姓等解文」である。すでに日本史の教科書に取り上げられるほど有名であるが、いったい何が書かれているのか、改めて確認しておこう。 尾張国郡司百姓等解文」は…
津々堂さんのブログで気になるコメントを見つけたのでメモ。
朝日新聞デジタルの2024年4月1日付の記事です。 https://www.asahi.com/articles/ASS303S5SS30ONFB00GM.html 東京大学史料編纂所の研究グループが、三重県伊賀市の上野城跡周辺の屋外で約150年前に撮影されたとみられる「湿板写真」を最新のデジタル技術で再現したそうです。
九州大学学術情報リポジトリKyushu University Institutional Repository蒙古襲来以後の日本の対高麗関係佐伯, 弘次 九州大学大学院人文科学研究院歴史学部門 https://doi.org/10.15017/1650926出版情報:史淵. 153, pp.1-28, 2016-03-18. 九州大学大学院人文科学研究院 バージョン:権利関係: 蒙古襲来以後の日本の対高麗関係(((蒙古襲来以後の日本の対高麗関係はじめに高麗と日本の関係は、国交こそなかったが、長い関係を有している。とくに一〇一九年の刀伊の入寇によって、 その関係は深まり、十一世紀後半になると、日…