東京大学の附置研究所の一。
史料編纂所は、「日本に関する史料及びその編纂の研究、並びに研究成果による史料集出版を行うことを目的とする」(「東大規則」第73号「東京大学史料編纂所規則」)東京大学の附置研究所です。 明治以来の史料蒐集並びに研究の蓄積を背景に、現在では日本史の研究の最大の拠点の 一つであると同時に、国内外の研究者その他に対する所蔵史料の公開、史料集の出版、 そしてデータベースの構築・公開を通じて、歴史学の発展や一般への知識の普及に大きな 役割を果たしています*1。
*1:http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/intro.html
今日の名言。 「三本の矢」でも有名な戦国武将、毛利元就の名言です。 この言葉は、元就がミスを犯してしまった部下に対して放った言葉だと言われています。 時は戦国時代。一つの情報伝達ミスが命取りになるような時代です。 にも関わらず、ミスを犯し謝罪する部下に対し、「いささか心を労するに及ばず。」と言い切れる懐の深さと優しさが伝わってきます。 「いささか」は「ほんの少し、わずか」といった意味であることから、「ほんのわずかも気にすることはない」といった意味になるのでしょうか。 他人のミスを許す。 言葉にすれば簡単なのですが、私の場合は、口では「まぁ、気にするなよ」などと励ましておきながら、どこかで「あそ…
日本史を学んだのは中学生が最後、という私が、3か月ぐらいの間のすきま時間に、室町時代初期(南北朝時代)あたりの時の流れを囓ろうとしたときに、心に残った本。半年も経ったら、その場の思いつきのたわごとも含め、色々と思い出せなくなりそうなので、今のうちに自分向けにメモ。いわゆる「一般の方向け」に分類されている本を手に取り、ここに記すかどうかは、網羅性、客観性は特になく。それでも、少しの一貫性だけはあるかもしれない。南北朝時代は、あいたがう史観が幾重にも連なっており、お気に入りの史観に出会うこともあれば、そうでないこともある。しかし、その多様性こそが、まさに中世の色どりであり、その乱れをありのままに感…
薩摩から京へ。天正3年(1575年)に島津家久(しまづいえひさ)が上京する。旅の様子について書き残している。『中務大輔家久公御上京日記』の記述をもとに旅程を追う。その2回目。 『中務大輔家久公御上京日記』についてはこちらの記事にて。 rekishikomugae.net 島津家久は島津貴久の四男。兄に島津義久(よしひさ)・島津義弘(よしひろ)・島津歳久(としひさ)がいる。島津家久は戦上手として歴史に名を残す。 島津家久の詳細はこちら。 rekishikomugae.net 2月20日に島津家久は薩摩を出発した。そして2月23日に肥後に入った。 rekishikomugae.net 肥後の道中は…
「日本医師会シンポジウム」見るからに面白くなさそうなテーマですが、医師会の進歩なんて滅多にみることがないでしょうから、もあぁ暇つぶしにでも見てみてはいかがかな?近未来に起きる事かもの問題ですしね。ニュースではとても大事な事を放映しないように思うんだけれど…たまにチラッとですかね。 意外と面白いんですよ。私子供の時から推しの医学者「北里柴三郎・正しくはきたさとです」ですからね。未知の感染症に対する備えについて考えるのも医学者に任せっぱなしではなく、各自頭の隅にでも入れておかないとならないと思ったので、気が向いた人は長いシンポですが、読んでみるのは良いのでは…。 外国人がかなりの人数が入国している…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 徳川家康が江戸幕府を開いた時代、日本は世界一鉄砲を保有していた世界7大帝国の一つであった。 ・ ・ ・ 2024年12月15日 YAHOO!JAPANニュース マネーポストWEB「織田信長が「鉄砲の量産化」で実現した“戦場のイノベーション” 最大の貿易港と主要な鉄砲生産地を掌握、火薬と弾丸を安定的に調達するリスクマネジメントも【投資の日本史】 鉄砲を「武力」に変えた信長の「投資とリスクマネジメント」とは?(Avalon/時事通信フォト) 16世紀日本の戦国時代は、織田信長による天下…
本書は2003年に「忠臣蔵のことが面白いほどわかる本」と題して出版されたものを、加筆修正して2017年に再版した赤穂事件の歴史的考察。筆者の山本博文氏は、東京大学史料編纂所教授。 「仮名手本忠臣蔵」はじめ多くの戯曲・映画・小説・ドラマ等で扱われたテーマであり、俗説と史実が入り混じって伝えられてしまった。筆者はできる限り一次資料(*1)によって、浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけた松の廊下の事件から、吉良邸討ち入り後の浪士の処分に至る2年ほどの歴史を再構成し、ポイントを新書版にまとめている。 刃傷事件は、1701年に起きた。徳川の天下が固まって1世紀近く、大きな騒動も無くなっていて、侍が刀を抜くこ…
歴史が大好きです。特に近代史はあまり学校で習ってこなかったので、成人してから本格的に近代史に興味を持ち始めました。当然、戦国時代からも学んでいますが、歴史から学ぶことは多いですね。 最近はテレビを見る若者が減っているそうですが、歴史番組ほどいろんなチャンネルで放送しているものはないのではないでしょうか?大抵はNHKで歴史番組を見ることが多いです。歴史は面白いです。 NHKの「映像の歴史」などは古くから見続けている番組です。本日は忘年会の某集まりで東京大学史料編纂所、本郷和人教授の戦国大名についての歴史話を聴きました。歴史家、本郷先生のお人柄を初めて知りました。
四十七士の墓(東京都港区・泉岳寺) - 写真=時事通信フォト 元禄15(1702)年の旧暦12月14日、大石内蔵助ら赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、主君の敵・吉良上野介を討ち取った。「忠臣蔵」の名で知られる有名な事件だ。東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんは「主君のために自らの命を捧げた赤穂浪士たちの美談として語られるが、事実を追っていくと別の側面が見えてくる」という――。(第1回) 「主君の仇討ちを遂げた美談」として語られているが、その真実は残酷なものだった… ※本稿は、本郷和人『日本史の偉人の虚像を暴く』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。 ■日本初の「主君の敵討ち事件」 歌舞伎や講談な…
『大日本史料』という史料集がある。平安時代中期から江戸時代までを対象にする、日本史の基幹となることを目指された史料集だが、如何せん日本史の史料は膨大である。明治から編纂が続いているが、このペースだとまず間違いなく今世紀中には完結しないだろう。しかし、『大日本史料』が刊行されるまで、その時期の基幹史料がわからないのはどう考えても不便である。そのために作成されたのが『史料綜覧』で、『大日本史料』の綱文となるべき文章とその典拠史料を示してくれている。これによって、とりあえず『大日本史料』未刊行でも当該期の事件とそれを調べるために当たれば良い史料の見当がつく。また、『大日本史料』には「史料稿本」という…
天正3年(1575年)、島津家久(いえひさ)は薩摩から上京する。旅日記が残っている。『中務大輔家久公御上京日記』または『家久君上京日記』と呼ばれるものである。こちらから旅程を追跡してみる。 島津家久は戦国島津氏の四兄弟の末っ子である。兄に島津義久(よしひさ)・島津義弘(よしひろ)・島津歳久(としひさ)がいる。 『中務大輔家久公御上京日記』についてはこちら。 rekishikomugae.net 原文は東京大学史料編纂所蔵本の翻刻より引用しました。 『中務大輔家久公御上京日記』(東京大学史料編纂所ホームページ) 出立は2月20日のことだった。2月23日に国境を越えて肥後国に入る。初回は旅の始まり…
オーディオブックは「書き言葉」と「話し言葉」の問題で諦めましたが、代わりにラジオの「講演」を見つけました。NHKの「カルチャーラジオ」です。 文学の世界:安部公房の世界 芸術その魅力:いまこそフォーレ~没後100年~ 歴史再発見:胃袋の近現代史(法政大学人間環境学部教授・湯澤規子) 日曜カルチャー:日本の貴族とは、何か(東京大学史料編纂所教授・本郷和人) 「胃袋の近現代史」(60分X9回)「日本の貴族とは、何か」(60分X4回)を聴いたのですが、講演ですから分かり易くなかなか面白いです。前者は食から日本の近代を論じ、後者はタイトル通り奈良時代〜江戸時代を貴族という視点で解き明かします。副食物の…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 豊臣秀吉は、明国征伐の為に朝鮮へ派兵した。 ・ ・ ・ 宗教の日本史 (扶桑社BOOKS新書)作者:本郷 和人扶桑社Amazon ・ ・ ・ 2024年12月9日 YAHOO!JAPANニュース nippon.com「【書評】戦国武将と宗教との関わりを論じたユニークな宗教史:本郷和人著『宗教の日本史』 大河ドラマの時代考証や歴史解説でおなじみ、東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏が、日本の宗教史を分かりやすく解説する。そこは宗教学者の手による学術書とは違い、独自の考察も加えたユニーク…
織田信雄の正室は北畠具教の息女(雪姫、千代御前)だ。 系図などの記録上では、文禄元年(1592年)に亡くなっている。 正室が亡くなった後、信雄の継室は誰がなったのだろうか。 Wikipediaなどネットを見ると、継室は木造具政息女だとしている。(木造具政は北畠具教の弟) 寛政重脩諸家譜の木造系図は信雄に嫁いだ木造具政息女のことは記さない。 が、同書の織田系図は信雄の経歴のところに 「室は北畠中納言具教が女、卒す。継室は木造中将具政が女。」と記している。 他には↓ 続群書類従所収の北畠系図「女子織田信雄妾織田兵部大輔信良母」とだけ記す。 旧小津清左衛門家所蔵の「木造記」の系図には 「女子織田信雄…
天正3年(1575年)、島津家久(しまづいえひさ)は薩摩国から京へのぼる。その道中をつづった日記が残っている。これがかなり面白い内容なのだ! 島津家久の旅程を知ることができるほか、戦国時代の実情や当時の諸国の様子といったこともわかる。京では織田信長を見かけたり、明智光秀に招かれたりもしている。また、島津家久の性格だったり、考え方や物の見方だったり、人間関係だったりも読み取れる。史料的価値もすこぶる高いのである。 島津家久とは 上京日記について 上京の目的は? 島津家久の旅程 島津家久とは 島津家久は島津貴久(たかひさ)の四男。通称は「中務大輔」「又七郎」。兄に島津義久(よしひさ)・島津義弘(よ…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年12月1日 MicrosoftStartニュース マネーポストWEB「“財源に乏しい甲斐国”を大国へと成長させた「武田信玄のインフラ投資」 その元手となる資金は掠奪と重税頼みだった【投資の日本史】 戦国最強と謳われる軍団を率いた武田信玄(東京国立博物館所蔵「武田二十四将図」より 出典:ColBase https://colbase.nich.go.jp) 群雄割拠の戦国時代、甲斐国(今の山梨県)を本拠にしていた武田氏は、信玄の時代に信濃国に進出。駿河の今川氏や相模の北条氏…