小関竜也

スポーツ

小関竜也

おぜきたつや

プロ野球選手・指導者。登録名「竜弥*1」。

左投左打、ポジションは外野手背番号は51→31→49番。

1976年7月24日生まれ。栃木県出身。

國學院栃木高校から1995年、ドラフト2位で西武ライオンズに入団。


1996年、控え野手として一軍に上がる。

1998年、一軍に定着。右翼手の定位置を掴む。佐々木誠の後釜として活躍、新人王を獲得した。

以降、俊足の2番打者として定着した。


2005年、選手会長に就任。

同年、MLB入団希望のため自由契約となった。


2006年、ミルウォーキー・ブリュワーズマイナー契約を結ぼうとするも、マイナーにおける外国人枠の関係で断念。

帰国後、読売ジャイアンツにテスト入団。

同年6月11日千葉ロッテマリーンズ戦において、イ・スンヨプ本塁打取消しの原因を作ってしまう。

  • 3回表、2死1塁に於いて、イ・スンヨプ(以下、李)の打球が右翼フェンスを超え、本塁打とコールされた。
    この時、小関は1塁走者であったが、3塁ベースを空過してしまい、
    千葉ロッテのアピールプレイによりアウトを宣告され、小関の得点が取り消された。
    また、アピールアウトによってチェンジとなることから、後位走者の李の得点も認められず、
    その結果、一度は認められた李の本塁打が取り消され単打扱いとなった。*2

2008年、横浜ベイスターズに移籍。同年オフに現役引退

2011年読売ジャイアンツの二軍コーチに就任。

登場曲は「太陽にほえろ!」のジーパンのテーマであり、登場曲がかかったときの「お・ぜ・き〜」コールは野球場でも最高に盛り上がっていた。

実家は佐野市内のラーメン屋「万里」。

*1:2003年〜2004年。

*2:塁上走者のベース踏み忘れによる本塁打取り消しは日本プロ野球史上初。