麻雀の鬼。特に、桜井章一。
麻雀小説や麻雀劇画黎明期においては麻雀の世界に生きる男の呼称として一般名詞的に用いられていた。またしばしば阿佐田哲也を指した。 しかし、柳史一郎による小説「伝説の雀鬼・桜井章一伝」およびそのコミック化・Vシネマ化により「雀鬼=桜井章一」という認識が麻雀ファンの中に浸透した後は、雀鬼という呼称は桜井章一を指す固有名詞的に用いられることが多い。
みなさん見てますか? ザンリーグも好きですけど、Mリーグも好きです。 見始めたのは2021-22シーズンから。 といっても平日忙しすぎたので、2022-23シーズンからしっかり見始めましたが。 元々Youtubeで雀鬼シリーズとか麻雀最強戦、MONDOの切り抜き、割れ目でポンシリーズの切り抜きなどなど見るのが好きだったのですが、ふと佐々木寿人だ。なにこれと思って見たのがMリーグでした。 私の大好きな萩原聖人がプロに入会したと言うニュースがそういやあったなと思い出しました(おそっ) 伝説の三色は何回見てもいいですよね。 今は陰ながらドリブンズの園田賢推しです 検討配信がおもろいですね。 関西の人…
おはようございます ようやく金曜日😊 ウチは土日はお休みなのでゆっくりできる~♪ 雀鬼ーな週末は送らないから、そんな目で見ないで🥺 す、少し、少しだけね…… ホントだからね😓 今日も頑張るよ、私😔— ちゃむ (@ledatcham.bsky.social) 2024-04-19T01:03:17.862Z@ledatcham.bsky.social on Bluesky
雀聖と呼ばれた阿左田哲也(作家の色川武大)が活躍した戦後の混乱期はとてつもなく強い麻雀打ちが日本中にいたようです。 当然手積みの時代で今のような全自動麻雀卓など探してもどこにもありません。 一瞬にしてかきまぜた牌の位置を記憶しさいころを自在に操り雀荘で勝ちまくったつわもの達がいたいたのも遠い昔です。 雀鬼こと桜井章一は20年間負けなしと豪語していますがまんざら嘘でもないのはそれに異論を唱える人が出てこないことからも明らかでしょう。 ホテル仙台プラザがまだ健在だった時にそこの社長に誘われて毎週卓を囲んでいましたが、フルブライト奨学生でアメリカのコーネル大学に行っただけのことはある凄腕でした。 最…
ムツゴロウ麻雀物語 (中公文庫 は 10-5) 作者:畑 正憲 中央公論新社 Amazon 「ムツゴロウさんはヤバい」ということを知ったのは吉田豪のインタビュー記事を読んでから。幼少期は動物王国を楽しみに見ていたクチで、TVの中でムツゴロウさんは満面の笑みで犬と戯れ、裸馬を乗りこなし、野生動物ににじり寄り(たまに動物から怒られが発生)、孫たちにキラキラネームを付ける、天真爛漫で浮世離れしたおじさん、と長らく思っていたのだ。 そのムツゴロウさんが、雀鬼であることをまだ知らない人もいたりして。 山谷で3日も4日も寝ないで卓を囲んでいたなんてところを読むと、麻雀放浪記じゃん!阿佐田哲也とタメはれる!…
タイトルは強い印象ですが、人として大切な姿勢やさしさが書かれているように思いました。 P73 生きとし生けるもの、地球上の生物すべてが〝自然の波長〟、あるいは〝宇宙の波長〟といってもいいかもしれないが、その波長の中で生きている。 我々人間も、その波長の中で生命として生き、体を使って動いている。その中であまりに不必要な動き、違和感のある動きをしていると波長を感じることができなくなり、自然の波長とは遠く離れた無駄な動きばかりになってしまう。 P82 麻雀では、4人のプレイヤーが13個の牌を手牌として持つ。そして、山から順に牌を1個ずつ取っては、手牌の中から1個を捨てていくという行為をくり返す。 各…
鳳凰卓を打って分かったことと言えば 自分含め他家の技術は拮抗しているため運ゲーになりやすいというのがある まるで自分が4人いて戦っているかのようなイメージだ なので9段や10段でも7段に落ちたりチャオったりする人もいる 対策法として考えたのは直観と感性を活かしていく麻雀である 相手は牌効率が完璧なので先手を取られることが多いので 押し返していくことが大事になってくる 鳳東や特東を観戦すれば分かるがみんな押してくるが 当たり牌を打たないようにしてくる なので一点、二点読みまで精度を上げて打っていくのが大事だ 僕も7年ブランクがあったもののその前は敵のあたり牌を 7割がた一点読みをできていた 要は…
今日は、午前中の下げを見たあとは、やることが無く、ソファーにゴロンと転んで本を読んで時間を潰していた。 ずっと値動きを見ているのは飽きるので、見切ったら適当な値段にアラートセットしてあとは放置プレイであるww 読んだ本は「ツキの正体」 雀鬼 桜井章一。 技術や知識よりも、感性とカラダの感覚が重要なんだってv (SQに関係するかわからんがチャートの調子が悪く、日報の数字がかなりズレている↓が、そのまま掲載 ) 天候: 曇り(3.1℃)@箱根湯本 体調: 普通 ナイト: DJI: 38,661.06 (75.86) NDQ: 17.898 (-328.61) USDJPY: 149.28 (-0.…
観戦日誌を書いてて辛くなってくるゲームというのがある。ちょうど昨日の敗戦のようなゲームがそれだ。勝ちゲームが自滅から負けゲームになってしまう、そんなゲーム。雀鬼会の桜井章一が「負けの99%は自滅だ」と言っていた。自滅じゃない負けがたった1%しかないとは思えないが、昨日のゲームはたしかに自滅だったな。 0−0で迎えた8回裏に味方がようやく2得点し最終回を迎えた。この回を抑えれば今江監督の初の連勝となる展開だった。マウンドは宮森。鈴木ソラと並んで今シーズン「やってもらわなきゃ困る」投手の筆頭格の投手なんだが、そういう投手のときに限ってなぜかいろいろ起こる。野球の神様が試練を用意しているかのような展…
買って後悔するより 買わないで後悔するほうが 何倍もダメージが大きいと気づく 私はプレミアソフトを調べるのが好きです なので、暇があると ずっとプレミアソフトの値段を調べています そして最高に楽しいです そんな時に、 「こんなに値段が上がってるの!!」と驚くことがあります。 数百円や1000円前後で買えたのに、 値段がいつの間にか上がっていて、ビックリする。 こんな衝撃です。 そして、そんな衝撃は、 昔のゲーム機であればあるほど大きいです。 つまり、 このブログの読者層である 30代、40代の方が最も遊んでいたゲーム機です。 ですので、私と同じように 衝撃を受けてもらえると思った訳です。 そし…
「友だちはそんなに必要ないけれど、仲間はそこそこいたほうがよい」 そんな話を、吉本ばなな氏の『吉本ばななが友だちの悩みについて答える』(2021年 朝日文庫 p.22)で読んだ(もとは雀鬼・桜井章一氏の言葉らしい。原著をご存知のかたは教えてください)。 友だちと仲間はそうキレイに線を引けるものでもないが、この考えかたは面白い。 仲間のイメージで一番わかりやすいのは「仕事仲間」だろう。 同じタスクを力を合わせてやっていったり、同じ方向を向いて切磋琢磨したりする。 では、友だちと仲間はどう違うのかというと、パーソナルスペースへの侵入を許せるかかもしれない。 前掲書で書かれていたのは、友だちというの…
〈「つくる」のではなく、「生む」という感覚を持つ〉 雀鬼・桜井章一氏の言葉だ。 〈麻雀は「いい手」をつくろうと頑張るほど、うまくいかなくなるものだ。私が勝負に際して常に大切にしているものは、「つくろう」とするのではなく「生む」感覚だ。〉 (『雀鬼語録 桜井章一名言集』株式会社プレジデント社 2023年p.21-22) 「いい手」は「つくる」のではなく「生まれる」、というのは興味深い。 つくるという言葉には全ては作り手の意のまま、思惑どおりという人意や人為のにおいがあるが、「生まれる」には何かしら人為を超えたもの、自然や運や天意みたいなものの関与を感じる。 身近な例で言えばたとえばいわゆる“バズ…
麻雀がしたくなる雀鬼「アカギ」のあらすじと感想を紹介:境郁吹 『アカギ』は福本伸行による日本の漫画作品で、主に麻雀をテーマにした作品です。 物語は第二次世界大戦直後の日本を舞台にしています。主人公の赤木しげる(アカギ)は、極めて若いながらも冷静かつ大胆不敵な性格の少年です。彼はある夜、ヤクザたちとの衝突から逃れるために、たまたま入った麻雀屋で、ヤクザたちとの麻雀勝負に巻き込まれます。 アカギはその驚異的な麻雀の才能を発揮し、ヤクザたちを圧倒します。その後、彼は闇の世界での数々の麻雀勝負に身を投じていきます。彼のスタイルは従来の麻雀とは一線を画し、リスクを恐れず、時には命をかけた勝負をすることで…
街カフェ、エクセルシオールの 「エクセごはん」シリーズ。 「ビーフシチューごはん」は、 マッシュドポテトも付いているし、 ご飯も赤米。 そして、なんと、ビーフシチュー とご飯の間には、 天の川のように、一筋の モッツアレラチーズが挟まっています。 ここにピンクペッパーが載っちゃう訳です から、美味しくないわけがない! お値段もちょっとお高めです。 高めと言っても、コーヒーも付いて 1330円くらい。 ま〜、たまにはイイよネ! さて、今回の記事の本題は、 この「ビーフシチューごはん」 …ではなくて、 それを売る店員さんのお話です。 昨年末、私の行きつけのカフェに、 女性の店員さんが、入店されまし…
札幌女性合気道に来ているある女性は、最近スーパーでおじさんが転んで困っていたのを見かけ助けたそうなのですが、近くに何人もいたにも拘らず、その人たちは何もせず、ただ黙って見ていただけだったのだとか。 それが不思議だったと言っていましたが、少し前の日本、特に都会の方では、何か困っているような人がいるのを自分が助けたりすれば、自分も何かに巻き込まれるのではないか、という不安や恐怖から見て見ぬ振りをしていたことはあったと思います。 そんな自分の身の安全ばかりを考え、目の前で倒れていない人を助けることも出来ない世の中を、尾崎豊さんは歌にしていたりしました。 道端に倒れた様に眠る人がいるよ 一度は目にする…