江戸時代に幕府および諸藩に置かれた職名の1つ。役割はそれぞれ違う。また、藩によっても違う。 江戸幕府における側用人は征夷大将軍の側近で将軍の命を老中らに伝える役目を担い、5000石級の旗本が任命されていた。また、諸藩に置かれた側用人は、一般的には藩主や藩主の嫡子の秘書的役割や藩主家の家政を総覧する役割を担っていた。
8 謙介京に上る 文久2年5月以降で、大野謙介の姿を確認できる史料は、管見にして「住谷日記」のみである。僅かな断片記事ではあるが、その記述を追ってみよう。まず、5月11日の条に「大謙下り願不済事、圭木も下リハ六ケ敷様子也」とある。謙介の水戸下向の願いが実現していないということか。「圭木」の誰かは不明である。それから4カ月近くを経った9月2日の条にも、「大謙ゟ之状届不申此後之便ヲ待候外ナシトゾ」と記されている。そして同月26日には「此夜池田(旅籠池田屋)へ飯村(俊蔵)、川又(才助)、大野等尋来候よし也」、とある。住谷は、9月20日水戸を出立し、当時は江戸に滞在中であった。 翌11月3日の条には、…
もくじはこちら ●野望〔一〕 ●野望〔一〕 葛の者ノスリが望月佐渡守の屋敷に戻ってきて、笹一角らを倒すことに失敗したことを報告した。猪狩芸州が酒井雅楽守忠清に報告するだろうから、ノスリらの失敗を隠すことができない、と話す佐渡守。その天井裏にはカムイがいて聞いていた。 酒井雅楽守忠清の屋敷で武芸者達が試合をしていた。そこに佐渡守がやってきた。笹一角らへの攻撃が成功か失敗か気になる酒井雅楽守忠清だが、佐渡守は、武芸者にノスリを倒させようとする。ノスリは武芸者らを全滅させた。 それを見せた上で、佐渡守は、ノスリと同じくらいの力量の者8人と雇った男10人が返り討ちにあったことを報告した。さらに佐渡守に…
2022年5月20日発行 主人公の澪は、黒島藩六万石の勘定方七十五石の三浦佳右衛門の三女として、十八歳の春、郡方五十石の萩蔵太に嫁いで十二年になる。嫁して三年後に長女由喜を、さらに二年ののちに嫡男小一郎を生した。澪は十七歳の折りにだだ一度だけ契りを交わした男がいた。父と同じ勘定方に出仕していた葛西笙平(しょうへい)で隣家の幼馴染だった。笙平の父仙五郎が急死すると、仙五郎の妻香は三回忌を待たず桑野清兵衛に再嫁した。笙平の妹ふたりは香の連れ子として桑野の家に迎え入れられたが、笙平だけは残って勘定方に勤めていた。澪は笙平をいとおしむ気持ちが募り、笙平も澪から話しかけられるに連れて元気を取り戻した。二…
二十三 「堤邸に行くんですね」 僕が草履を履こうとしたら、きくが後ろからききょうを抱っこしながら、そう言った。 僕はぴくんとした。その通りだったからだ。 「待っててくださいね」 きくも草履を持ってきて、足袋を履き、「わたしも一緒に行きます」と言った。 ききょうはおんぶ紐のようなものに包んで、きくが抱えていた。 「ききょうも連れて行くのか」 「はい、置いていけないですもの」 「誰かに見てもらえばいいじゃないか」 「ききょうだって、弟に会いたいですよね」ときくは、ききょうに向かって言った。 堤邸は城を北側に見た場合に、屋敷町の西側にあった。東側の家老家の屋敷から少し距離はあるが、同じ武家屋敷の通り…
2020年5月20日発行 病に伏した妻が夫に、故郷の散り椿がみたいと言いながら、自分が死んだら夫一人で故郷に戻ってやってほしいことがあるという。夫に打ち明けず永年胸に秘めた想いを話した。その内容とは?という導入で始まる。 半年後、浪人の瓜生新兵衛が故郷の扇野藩に戻った。宇野十蔵と坂下藤吾が山廻りしていたところで新兵衛と遭遇した。藤吾の父源之進は1年前突如自害してこの世を去った。勘定方だった源之進は、家老石田玄蕃から使途不明金を糾問され、無実だと反論したが、突然、別室で腹を切った。藤吾は新兵衛のことを知らず、十蔵は新兵衛を知っていた。十蔵によれば、新兵衛は一刀流平山道場で代稽古をしていたが、藩か…
十八 審判である番頭の中島伊右衛門が張り上げた「鏡京介殿の負け」の声はあたりに響いた。 そして、次に響めきが起こった。意外な形で決着が付いたからだった。 僕は木刀を拾い「静かに」と叫んだ。 響めきが収まった。何が起こるのか、みんなが注視していた。 僕は木刀を右脇に抱えて、藩主の方に少し進んで、片膝を突いた。 そして、深々と頭を下げて「今の試合、私の負けで結構です。しかし、一つ藩主様にお見せしたい技があります」と言った。藩主は側用人の斉藤頼母に耳打ちした。 斉藤頼母は「ほう、それは何だ、とおっしゃっておられる」と言った。 「真剣白刃取りです」 僕はそう言った。 あたりに響めきが起こった。 斉藤頼…
十七 御前試合の日が来た。 僕は着慣れぬ袴を穿き、城に向かった。 外の城郭を回り込んで、内庭に出た。広かった。 その中央にお殿様が背もたれのない椅子のようなものに座っていた。両側に重臣たちも同じように座っていた。 周りには、家臣がずらりと取り囲んでいた。 審判役は、番頭の中島伊右衛門がやることになっていた。 内庭には、僕と、堤竜之介、山奉行の佐伯主水之介、そして側用人斉藤頼母が推挙した竹田信繁の四人がいた。堤や竹田とは目を合わせたが、それぞれ真剣な視線を送ってきた。しかし、佐伯と僕は目を合わせなかった。 組み合わせは公平なように、番頭の中島伊右衛門が握っている四本のこよりで決められることになっ…
この日記は明治元年四月一日から始まっています。この年は九月八日に明治と改元されました。それまでは慶応四年でした。 この年は次のような出来事がありました。 一月三日 鳥羽、伏見の戦い。 三月十四日 西郷隆盛と勝海舟が会談し江戸城開城の了解なる。五ケ条の誓文発布(十五日、五枚の立札を掲示)。 三月二十一日 天皇が大阪行幸。閏四月八日京都へ帰る。 四月四日 江戸城開城し、十一日徳川慶喜水戸に屏居謹慎し、榎本武揚が幕府の軍艦を率いて北海道へ向かう。 四月二十五日 近藤勇、江戸下板橋で斬られる(三十五歳)。 閏四月八日 天皇が大阪行幸から京都へ帰る。 閏四月三日 福沢諭吉、芝に英学塾を移転し慶應義塾と改…
十六 ききょうは可愛かった。 寝転びながら、その顔を見ていても、見飽きることがなかった。 両手を顔の近くに持って行き、何やら動かしている。何が可笑しいのか、笑っている。 ききょうを見ている顔を、きくはぐいと自分の方に向けた。 「ききょうばかりを見ている」 「きくだって、ききょうばかり抱いているではないか」 「今は、京介様に抱かれたい」 「おいおい、いいのか」 「いいのよ。そういう風に躰はできてるのよ」 久しぶりにきくを抱いた。 女中たちには、それならききょうの夜泣きの方がましだったと思われたかも知れなかった。 山に入って行った。 もちろん、佐伯主水之介に会うためだった。 奉行所の座敷に通され、…
十五 門弟がいなくなった道場で、相川小次郎、佐々木大五郎、落合敬二郎、長崎三郎、島村時四郎、沢田熊太郎に稽古を付けた。 六人で半円を作らせて、正眼の構えから小手を狙わせた。六人順番に打たせて、すぐ次を打つように言った。 僕は六人相手にすべて小手を封じた。小一時間ほど打たせた。休みを与えなかったので、六人はグロッキーになった。 「先生は速すぎて無理ですよ」と相川はぼやいた。 「これぐらいの速さに付いてこられなければ、もっと速くなればもっと付いてこられないということになるではないか」 「先生の剣は神業です。私たちとは桁が違う」 「慣れだ。そのうち、私の剣も見えてくる」 次にやる時には、少しスピード…
2015年2月1日第1刷発行 美祢は七十郎に、若侍達が煽動されたことに気付いて煽動した儒学者を襲い、その際、儒学者を匿った者の家族を間違って傷付けてしまった、ついては若侍達を助けるためには美祢を七十郎の妻になるしかなくそうして貰わねば帰られぬと言ってきた。そこに伝助が出雲屋を連れて現れた。出雲屋は佐次右衛門を破産させた張本人だった。出雲屋は盗まれた仏像を取り返しに来た。しかし七十郎は咄嗟の機転を利かせて仏像の由緒書を出せねば本当の持主とは認められないとして出雲屋を追い返した。その姿を間近で見ていた美祢もおさとも七十郎を見直した。おさとは七十郎に川明かりの言葉の意味を語った。周りにいる自分たちを…
犬との旅行プランナー🐶です。 犬と一緒に旅に行くときのお手伝いをします。 奈良県橿原市在住で、普段、SNSで奈良県内明日香村、橿原市、桜井市、高取町などの愛犬と行ける史跡などを紹介しています。 今回は、令和6年3月31日(日)に、奈良県大和郡山市にある大和郡山城に桜🌸を見に愛犬🐶と行ってきたので紹介します。 なお、途中、大和郡山市内にあるコロッケ店の老舗「ころっけのハヤシ 」でコロッケなどをテイクアウトしたり銘菓菊屋で桜餅を買うなど色々、愛犬と楽しみました。 なお、大和郡山市内での犬のマナーは必須です! 1 おすすめ (1)桜の開花状況と今後の予想 第63回お城まつりのちらし。3月24日(日)…
日本の歴史 士農工商: 江戸時代前期 小学館 Amazon おやめなされ浅野どの!殿中でござるぞ。 明け六つ、午前6時くらい。 入り鉄砲に出女、江戸に持ち込まれる鉄砲と大名の妻たちの逃亡を防ぐために関所でチェック。 大名行列は大体1日10里。約39km。 由比正雪、浪人たちを取りまとめて幕府転覆計画。バレて自害。より浪人の取り締まりが厳しくなる。 御三家、徳川家から派生した紀伊、水戸、尾張の三家。 明暦の大火、またの名をふりそで火事。死者10万人。 宗門改め、檀那寺の確認や家族構成チェック。役所に届ける。もともとはキリシタン取り締まりのための制度。 農民の御触書、農民に対する生活の縛り。 農具…