二十日に及ぶ後小松天皇による行幸が終わり、愛息子である鶴若が元服し、義嗣と名を改めてから数日経過したのち、足利義満がにわかに体調を崩した。 山科嗣教の元服の儀を執り行った後に咳が出始め、風気かその時は軽いものであったが夜にかけて次第に重くなり、翌日には誰にも対面せず自邸の北山殿に籠る有り様だった。 その後平癒のための神楽を石清水八幡宮や惣社に命じて奏したり、祈祷を行わせたが一向に恢復の兆しは見えず依然として居室で臥せっていた。そして七日経った日の昼、危篤に陥った。しばらくしても目を覚まさないため、侍医は死亡したと判断し、その報せを伝えるための使いも出されたが晩になって蘇生したのだ。 公武ともに…