ラグビー選手・指導者。経営者。
早稲田大学では主将として1970年度に無敗で大学選手権を制覇、日本選手権でも新日鉄釜石を倒し日本一となる。
卒業後、住友金属工業に入社。ジャパン初のヨーロッパ遠征にも参加し、キャップ6を持つ。
1976年、母校に戻り監督を務め、大学日本一へ導いた。
退任後、住友金属九州支社長に就任。
2005年、Jリーグ、鹿島アントラーズの専務取締役に就任。
2006年、鹿島アントラーズ代表取締役社長となる。
2010年7月、鬼武健二の後任として、第4代社団法人日本プロサッカーリーグ理事長(Jリーグチェアマン)に就任。日本サッカー協会副会長も兼任。
2014年1月、Jリーグチェアマンを退任。後継は村井満。