中帰連

社会

中帰連

ちゅうきれん

中国帰還者連絡会」の略称。

1950年ソ連から中国に引き渡された日本人捕虜中国戦犯容疑者として収監(撫順戦犯管理所=969人、太原戦犯管理所=140人)した。「中国帰還者連絡会」は両管理所の元抑留者が帰国後の1957年に結成した団体。その後中帰連は2002年、全国組織を解散し、その事業を「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」に受け継いでいる。戦争反対を運動の基調とし、三光作戦731部隊・強制連行などについて証言をしており、会員の高齢化にもかかわらず2008年現在も全国で証言活動を行っている。機関紙「中帰連」には単に証言だけではなく、戦争と平和に関する研究者論文など様々な記事が掲載されている。また埼玉県川越市には図書館を設置している。


中帰連会員は自らを戦犯と呼んでいるが、撫順戦犯管理所での戦犯裁判では実際にはほとんどは起訴猶予で帰国しており、法的には多くは戦犯と言えない。「被告席には安次さんたち撫順戦犯管理所の295名、太原戦犯管理所から来た40名がいる。(略)検察官が文書を読み始めた(略)ここに寛大処理を行い起訴を免じて即時釈放するものである”(p183)」(引用は金子安次氏の体験記:「金子さんの戦争」 リトルモア, 2005年より)。


参考記事:『BC級戦犯』(ちくま新書)において軍事史研究者田中宏巳(防衛大学校教授)は中国側が日本軍の遺棄した文書を大量に入手していたことを指摘し、共産中国による戦犯裁判について「おそらく他の七カ国の中で最も厳格な証拠調べが行われ、完璧な論理の下に判決が下された裁判といえるであろう(159-160頁)、「(…)新中国の法廷は、連合国七カ国の裁判よりましな点が多かった。取調べ、調書の作成まで含めると実に六年間もかけ、被告が納得する裁判にしようとつとめている。証拠資料や証言をしっかり集め、被告に逃げ場がないようにして自白を引き出した」(203頁)と評している。

 また中国の若手研究者の程凱は、撫順戦犯管理所およびその裁判を加害者と被害者の交流による和解が行われ、加害者への寛容さが実行された最も幸福な戦犯裁判として、肯定的な評価を下している。(程凱「二つの戦後」と改造事件、現代思想、2007年8月号)