70年代のプロ野球選手。登録名「信三路」。*1
右投右打、ポジションは二塁手。背番号は60→49→5番。
1946年2月27日生まれ。大阪府出身。
PL学園高校で甲子園に出場。
卒業後マツダオート名古屋、富士鉄名古屋を経て1970年、ドラフト外で中日ドラゴンズに入団。
同年、打率.350でウエスタンリーグの首位打者を獲得。
1976年、梅田邦三との2対1の交換トレードで、広瀬宰と共に太平洋クラブライオンズに移籍。控え野手として一軍に定着した。
1977年、クラウンライターライオンズで現役引退。
息子は坪井智哉。