精神科医。プロ野球コミッショナー。 内村鑑三の長男。ドイツ留学ののち、1928(S3)北大教授となり、東大教授、東京府立松沢病院長などを歴任。定年後は国立精神衛生研究所長、神経研究所長などを務める。傑出者の脳の研究、双生児の研究など多くの業績を残した。一方、学生時代左腕投手としてならし、62〜65プロ野球コミッショナーとなる。日本学士院会員、東大名誉教授
「強盗強姦は日本軍隊につきものですよ」戦争は男たちを狂わせ、女子どもを苦しめた。その後遺症は男の異常性欲を開花させ、戦後の混乱期に大きな影を落とした。 ランキング参加中オカルト同好会 発覚と逮捕 1946年(昭和21年)8月17日、東京・芝の増上寺・西向観音の裏山で木の伐採を依頼された業者が若い女性の全裸遺体を見つけて通報した。 更にその10数m傍らの草むらからも別の女性の白骨化した遺体が発見される。 白骨化した遺体は半袖シャツにスカートを身に着けており、ポケットに神田「サロン松」の女給募集の切り抜きが唯一見つかり、7月19日の新聞広告であることが判明したものの身元の特定にはつながらなかった。…
尾身茂さんとは、私がI書院を退職する1年前(多分、2010年頃)にインタビューの際に同席した。尾身さんは、その頃、WHO海外勤務から日本に戻って母校自治医科大学の公衆衛生学教授に就任していたと思う。雑誌「公衆衛生」の担当者でNさんの企画で「尾身さんが何故医師になったか、医師になりWHOでエイズのまん延防止に向けて活躍され頃の話、等々」を伺った。この折のインタビューに基づいて『尾身茂~WHOを行く』というタイトルの本になった。尾身さんはこの企画に余り乗り気ではなかった。謙虚な方なのだ。 尾身さんは、高校を卒業して慶応大学・法学部に入学したが余り面白くなかった。あるときたしか吉祥寺か何処かの古本屋…
本稿は帝銀事件について、平沢貞通逮捕後の後編にあたる。 逮捕までの事件概要等については前編をご参照されたい。 sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com ランキング参加中オカルト同好会 首実検 移送直後の首実検(面通し)は、帝銀事件の生存者から3人と未遂事件のあった両行から3人ずつの計9人に対して行われたが、平沢を犯人だと断定した者はいなかった。帝銀生存者の3名は「違う」と言い、他の者も2人が「犯人ではない」とし、残り4人が「似ているが犯人かは分からない」と証言した。だが警察はそれで「シロ」とはいかなかった。 当時はすりガラス越しに被疑者に気づかれない配慮すらなく、…