建築家。1886ー1970 「塔博士」と呼ばれた、鉄塔の構造設計の専門家。東京タワー、二代目通天閣、さっぽろテレビ塔、名古屋テレビ塔、博多ポートタワー、別府タワー等、約30件の、各地の観光名所&象徴的存在となっている鉄塔の構造設計をてがけた。
山梨県生まれ。一高から帝大に学び、大学院で耐震構造を研究、26歳で早稲田大学教授に就任し、1922年、「架構建築耐震構造論」を発表した。
この理論に基づき、日本初の耐震構造ビルとなる日本興業銀行本店を設計する。この7階建てのビルは、完成わずか3ヶ月後に発生した関東大震災にびくともせず、その理論の有効性が改めて実証されることになった。
その後、テレビ本放送が開始した1953年に名古屋テレビ塔の設計を担当し、その翌年に竣工。さらに'56年に現在の通天閣、'57年に別府タワー、さっぽろテレビ塔と、展望台つき鉄塔の構造設計をつぎつぎに手がけ、'58年、ついに東京タワーを完成させるに至った。
早稲田大学内藤多仲博士記念館として保存されている。