鳥取県西伯郡伯耆町。 平成17年1月1日西伯郡岸本町と日野郡溝口町が合併して誕生。 面積139.5平方キロ、人口12563人、世帯数3711世帯。 (平成16年12月28日現在の岸本溝口両町の合算値)
溝口地区は鬼の町として有名。 岸本地区小町には小野小町の墓とされる墓所も存在する。
旧国名の一つ。現在の鳥取県の西部。
湯谷城は広島県境に聳える岩樋山から北に延びた支脈の先端、日野川とその支流岩松川に挟まれた急峻な尾根上に築かれており、山麓の高台には城主居館らしい遺構もある。西麓の多里は備後国境まで5kmほど、備後に向かう日野街道の通る交通の要衝に位置する。 背後を堀切で遮断した居館の規模は南北40m東西50mほどの規模で、北西側に小さな腰曲輪が付属する。一般に土居屋敷に見られる土塁は居館背後から両側面にかけて築かれるのだが、本城の土塁は居館背後から東辺に伸びるが、西辺には確認出来ない。 居館跡は土砂採取などによって原状はかなり失われているようだ。現在居館南西隅の土塁脇に開かれた通路は後世の破壊によるものらしく…
土居城のある江府町俣野の尾上原は名峰伯耆大山の北側にあって、岡山県境に聳える金ヶ谷山(標高1164m)から北西に伸びる支脈の先端が、低くなだらかな丘陵となった所に築かれている。 城は四方土塁空堀囲みの方形居館プランだが、城の載る丘の歪みに合わせてわずかに歪み、東西幅70m、南北幅55m~80mの規模。大まかに言えば70m四方程度の規模といえる。これで吸収しきれない南東側突出部は櫓台としている。 城の尾首に当たる東側は尾根筋をわずかに遮断する堀切が確認出来るだけだが、残る三方には横堀が巡る。西辺中央部には虎口が開く。横堀に架かる土橋を渡って城内に入るものだが、単純な平入虎口で横矢などの防御の工夫…
どこから歩き始めてもよいのだろうが、三輪神社(大神神社)からにした 神様の御魂(みたま)には 和魂(にぎみたま)と 荒魂(あらみたま) があるとされ さらに 和魂は 幸魂(さきみたま)と 奇魂(くしみたま)の二つの働きにわかれる 出雲の大国主命の 和魂 を 大物主神 の名で三輪山に鎮めたとされ それゆえ神社の裏にある三輪山が御神体にあたる 要するに出雲の大国主命の魂を祀ってある 奈良は大和であり 大和朝廷の発祥、本拠地のはずである なぜ国譲りをしたという出雲の神が大和の中央に祀ってあるのか? 歴史をよくご存知の方はわかっておられるのかもしれないが・・・ 今回の奈良行きでは 出雲系の神社を巡って…
Number16 令制国(りょうせいこく)とは、日本の律令制に基づいて設置されていた地方行政区分です。 今では、よく鉄道の駅名などに使われています。 現在でも、意外と使われていて、普通に会話に出てくることがよくあります。 以下の旧国の名前を読めますか? 1】伯耆国⇒( )2】下総国⇒( ) 3】上総国⇒( )4】飛騨国⇒( ) 5】美濃国⇒( )6】下野国⇒( ) 7】上野国⇒( )8】因幡国⇒( ) 9】越前国⇒( )10】讃岐国⇒( ) 11】周防国⇒( )12】豊後国⇒( ) 13】播磨国⇒( )14】美作国⇒( ) 15】遠江国⇒( )16】甲斐国⇒( ) 17】摂津国⇒( )18】安…
松本城主 松本市は十月に入ると、残暑どころか朝晩は急に寒さを感じる様になり、衣服も少し厚手のものが欲しくなる。近くの公園には白やピンクのコスモスが一面に咲き乱れていた。田岡は福島学芸員から松本城の歴史を学ぶため、再び博物館を訪ねた。 「福島さん、お忙しい処、また時間をとって頂きありがとうございます」 「いえいえ、こちらこそ田岡さんになかなか連絡せず、すみません。この前は話の途中で切り上げてしまい、申し訳ありませんでした。さあ、どうぞ」 と言われ、以前と同じ研究室の部屋に通された。 「田岡さん、話の続きの前に先日お預かりしました例の古文書ですが、実は解読に手間が掛かっています。所々の漢字や言葉は…
春の山陰です。 桜メインで行動した伯備線遠征でしたが、 菜の花と大山とも国鉄色の381系も撮影することが叶いました。 完全な青空ではなかったですが予想外の嬉しい一枚となりました。 伯備線(岸本~伯耆大山)2024/4/5/16:41撮影GFX100Ⅱ GF100-200mmF5.6 R LM OIS WR 焦点距離 113mm(35mm換算 89mm)ISO 250 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中写真・カメラ ランキング参加中旅行
2024年4月5日(金) 本日は(大都会)岡山駅へとやってきました。これからとある列車に乗車して、島根県の出雲市へと向かいます。 岡山~出雲市駅間を結ぶ列車といえば、伯備線を経由して運行される陰陽連絡特急〔やくも〕です。1972年の山陽新幹線新大阪~岡山駅間開業と同時に運行を開始してから今年で52年となります。 当初は気動車特急でしたが、1982年に伯備線全線および山陰本線の伯耆大山~知井宮(現在の西出雲)駅間が電化されたことで電車特急「381系」での運行が開始。それから今日に至るまで、40年以上に渡り381系は陰陽連絡の顔として毎日走り続けてきました。 しかし明日4月6日からは、新型特急「2…
数正出奔 石川数正は、岡崎に戻ると、二、三日自分の部屋に閉じ籠った。その間、数正は机の上に硯を置き、ひたすら徳川の軍法を書き綴っていた。軍法とは、徳川の戦における戦略・戦術など兵法や陣法のことであり、重臣しか知らない最高機密である。 徳川から出奔し、これを秀吉に渡そうとしている自分は、明らかな裏切り者であることはわかっていた。敢えて、裏切り者になる事により、強硬派が犇めく三河の戦闘意欲を封じ込めるのが、最善の策と数正は心に決めたからである。数正の目的は圧倒的な秀吉勢力による徳川家滅亡を防ぐことであり、いつか家康が天下統一する日を待ち望むことでもあった。 しかし、この裏切り行為は、裏目に出ること…
連休真っ只中に運行される所要時間が現役列車最長の16時間31分となる、臨時寝台特急サンライズ出雲92号だが、最大の見所である山陰本線〜伯備線内の運転停車、列車交換の予想を立ててみた。 先輩諸兄の方々が各所で公開しているスジ引きから、何となく上書きして伯備線内の動きを考えてみた。 ちなみに。。。 誰も参考にはしないだろうが、これはあくまでもド素人研究なので、軽く流して頂きたい。 2024年春ダイヤのサンライズ出雲92号は出雲市を13:52に出発。 出雲市〜米子までは観光列車「快速あめつち」のスジっぽい動きになると予想。 出雲市を出るといきなり直江で運転停車。 後続のスーパーまつかぜ10号の退避。…
秀吉の勢い 大阪までの随行は、数正の家臣20騎に加え、警護役の井伊直政の30騎のみである。 こうして、於義丸が浜松城を発ったのは、使者滝川雄利が戻ってわずか20日後の12月12日であった。 一行が大阪城に着き、大広間に通されると、秀吉をはじめ、秀吉の弟・羽柴秀長など多くの武将が整然と並んでいた。 秀吉が於義丸を見つけると、 「おう、於義丸じゃな。もそっと近くへ」と親しげに手招きした。 「徳川家康が次男、於義丸でござりまする。羽柴筑前守秀吉さまのご尊顔を拝し‥」 と12歳の於義丸は口ごもりってしまった。 「緊張するのも無理なかろう。しかし、今日からは秀吉の子。強く逞しくならぬといかんぞ。そうだ、…
和議の礼 家康は、講和後の秀吉の真意を探るためにも、〈和議の礼〉を家康の懐刀といわれた石川数正に託した。数正は武将として頼れている存在だけでなく、かつて「桶狭間の戦い」の後、今川から離反した家康が、信長と対等同盟(清須同盟)となる交渉を行なったり、今川氏真と人質交換の交渉では瀬名(築山殿)と長男・信康を無事救助するなど、こういった外交的手腕を買われてのことだ。また、数正は以前、秀吉が「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家を討ち坂本城に凱旋した際に、先勝祝いの品として名高い茶入れ「初花」を届けており、その時から秀吉に気に入られている事も家康は承知していた。 しかし、今回数正は敢えて、何も持たず秀吉に会い家康…
石見国邇摩郡西田の住人。西田に屋敷を有していたことが史料にみえる。江戸期に西田村の庄屋となった勝屋家との関連が想定されている。 大森田村屋の所蔵文書 水上神社造営と西田村庄屋・勝屋家 参考文献 大森田村屋の所蔵文書 16世紀末、勝屋肥後守は石見国邇摩郡西田に屋敷を構えていた。慶長二年(1597)十二月十日付「地銭・諸役銀付立写」*1には、彼が西田に屋敷壱所を有し、地銭(屋敷の間口を基準に賦課された税)3匁を賦課されていたことが記されている。 kuregure.hatenablog.com なお「地銭・諸役銀付立写」は、毛利氏領国であった石見・出雲・伯耆・備後・安芸5ヵ国内における毛利氏関係文書…
戦国時代の出来事を年表にまとめた。 戦国時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 室町時代 後は 安土桃山時代 広義の室町時代に含まれる。 戦国時代の概要 戦国時代の文化 戦国時代の出来事 1449年 (文安6年) 足利 義政 8代将軍に 1455年 (享徳3年) 享徳の乱 1465年 (寛正5年) 後土御門天皇 即位 1467年 (応仁元年) 応仁の乱 1470年 (文明2年) 京極騒乱 1471年 (文明3年)山名豊之の殺害事件 1473年 (文明5年) 足利 義尚 9代将軍に 1479年 (文明11年) 毛利次郎の乱 1487年 (長享元年) 長享の乱 1487年 (長享元年)…
【巖(いわお) 十一代 旨味純米酒】 おだやかな やさしい蜜に 包まれて はじめましてのお酒、巖さん。群馬県藤岡市・高井(株)さんのお酒です。「巖」は「巌」の旧字体。意味としては、岩とか、ゴツゴツした大きな石とかです。巌窟王とか、君が代の歌詞に出てくる「巌となりて」くらいでしか見たことのない字。漢検1級 / 準1級レベルの漢字です。 銘柄名の由来は、西郷隆盛の甥であり、日清日露戦争の英雄にして「陸の大山、海の東郷」と云われた大山巖 元師・陸軍大将の名前だそう。なるほど、漢字のイメージに違わずいかついですね。 高井(株)さんは享保14年(1729年)に初代・高井作右衛門さんが創業。最盛期は300…
おざーっす!! いつも【想い出のメモリーBlog】を読んでいただき、本当にありがとうございます🙇 サクッと読んで、大切な時間を有意義にお過ごしていただければ嬉しいです✨ 短い間ですが、どうぞ最後までお楽しみください🙌 今回、米子の方に向かってる最中、道路から上を見上げると。。。 上の方に緑色の巨大な鬼が😳 気になって立寄ってみました🚗 正体は一体⁉️ 早速ですが、チェケラしていきましょう!! 巨大な鬼の像がランドマークが目印のスポット【おにっ子ランド】に来ました👹 巨大な緑色をした鬼の銅像📸 写真だと伝わりづらいですが。。。 真下から鬼を見ると迫力満点!! 子供はもしかしたら泣くかもしれません…
2024年4月6日(土) おはようございます。本日は島根県の出雲市駅へとやってきました。 今回は岡山~出雲市駅間を結ぶ特急〔やくも〕の新型車両「273系」が運行を開始するとのことで、営業運転一番列車に乗車していきたいと思います! 記念すべき営業一番列車となるのは、出雲市5時27分発の特急〔やくも4号〕岡山行。4号ということはこの1本前、出雲市駅を4時台に発車する「2号」があるわけですが、そちらはまだ381系での運行ということになります。いきなり全列車を置き換えるのではなく、4~6月にかけて段階的に置き換えていきます。ってか4時台に特急があるの凄い…。 足元には新型車両のイラストが描かれた、乗車…
『米子城跡』は山陰が誇る天空の城! 鳥取県米子市。市街地からほど近い山の上に壮大な石垣が残る堅牢な城跡があります。かつてふたつの天守閣があったという天空の城!それが『米子城』です。 筆者紹介 こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。 旅人サイファ実績 ・スキルマーケット「ココナラ」にて旅行お出かけカテゴリ売上実績No1 ・グルメサイト「ニッポンごはん旅」公認ライター ・スマートニュース/Yahoo!ニュースほかメディア掲載実績多数 ・「にほんブログ村」国内旅行カテゴリPVランキング1位を記録 こちらの記事は【サン…