・572年4.3 欽明天皇と石姫王の王子、訳田倉太珠敷王が天皇に即位した(敏達天皇)。(『日本書紀』) ※当時の皇位継承は、現天皇の王子と、天皇の娘もしくは蘇我氏の女性が産んだ王族が優先され、そして大王位継承資格者の中での年齢順になされる緩やかなものであったと考えられる(大平聡「日本古代王権継承試論」)。 ・572年 4.3 敏達天皇が即位した際、蘇我稲目の子息,馬子と物部守屋はそれぞれ大臣(おおまえつきみ)と大連(大臣と読み同じ)に任じられた。(『日本書紀』) ※『天孫本紀』によれば守屋は物部尾輿の子息であるが、『日本書紀』には親族関係は記されていない。 ※「馬子」の「子」は尊称であり、実名…