大永元年(1521年)〜慶長3年3月14日(1598年4月19日) 日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。父は六角定頼。 南近江の戦国大名で足利将軍家を庇護し、三好家などと戦った。浅井家の離反、織田家との争いなどで領土を失い没落。その後、流浪の身となった。信長包囲網が形成されると朝倉義景や浅井長政や三好三人衆らと同盟して戦ったが破れ、領土奪還は叶わなかった。
百済寺本堂。慶安3年(1650年)に再建された 近江(滋賀県)琵琶後の東に位置する「湖東三山」のひとつ、釈迦山しゃかさん百済寺ひゃくさいじ(滋賀県東近江市百済寺町)本堂の濡ぬれ縁が破損した。 NHK大阪放送局が制作する次期連続テレビ小説『ブギウギ』の撮影を進めていた4月25日午後3時過ぎ、濡れ縁で出演者10人がダンスの練習をするシーンのリハーサルを始めたところ、床板を支える部材が折れ、床板が20枚ほど外れて濡れ縁が5メートルにわたって最大20センチほど陥没したという。 寺はドラマや映画のロケ地だった 「聖徳太子が創建」由緒ある名刹 比叡山延暦寺無動寺の末寺、厳しい修行の場に フロイス絶賛「地上…
さて安土城観光後、電動自転車にまたがり 観音寺城へダブルヘッダー⚾ ここも城趾です、そしてここは安土城登城後では 本当にきつかった。。 軽快に走ります、自転車楽しい🎶 駐輪場に止めたが観音寺城はいろんな行き方があるようで桑實寺から登った。 もう今日はひたすら石垣ロードなんだな😰 安土城登城の際、他の観光客が竹杖使ってたので観音寺城では私も使わせていただきます。 転ばぬ先の杖っすね 桑實寺から入山すると有料(300円)です 回り込むコースよりこちらのほうが近いと思ったけど有料だったのか。。リサーチ不足。 せっかくだからと思って本堂見ようか。。 いや、この先がまだまだ長いの知ってたので行かなかった…
前回の記事はこちら。 gekkahope.hatenablog.com 67年秋。本願寺の八上城・丹波亀山城・二条城を攻略。 67年冬。本願寺の鈴木左大夫を百地三太夫で暗殺。能力の高い敵武将は味方にすれば心強いので、暗殺で消すのはもったいないが、仕方ない……。さらに本願寺の勝龍寺城・槇島城に焼討をかけた。稲富の鉄砲に苦戦しつつ、勝龍寺城を攻略。槇島城は松永に取られてしまったが、これで本願寺は滅亡した。 68年春。里見と疎遠になった。上杉の侵攻に備えて、有力な武将を関東に移動させた(前回、関東から避難させた意味はなかった)。西の長宗我部の侵攻にも備えないといけないのが難しい。 68年夏。また他大…
前回で南近江を完全支配下に置きました。 まさかの六角義賢が殲滅扱いに泣きましたが。 気を取り直して北上し、北近江を制圧していきます。 南近江支配後~北近江侵攻1ターン目 北近江侵攻2ターン目 北近江侵攻3ターン目 北近江侵攻4ターン目 北近江侵攻5ターン目 北近江侵攻6ターン目 シナリオ考察 南近江支配後~北近江侵攻1ターン目 ADVパート「安堵と憤怒、そして覚悟」 浅井服姿の信行ちゃん やっぱり織田へと帰ってこないのね… これは悲しい寂しい… ひっでえ顔だ… せっかくの美人が台無しです シリーズ屈指の信長の顔芸だぞ まあこの直後に信長と夜伽をするのですがね。 全く節操がないことこの上なし シ…
前回は松永3姉妹のレベリングに飽きたので、大和を制圧して先に進めることにしました。 どうにも1ルートで複数に渡るレベリングは退屈極まりないです。 クリア直前にまとめてレベリングをすることに決めました。 南近江の攻略はここまでくれば流れ作業で支配できます。 とはいえ、どのルートでも中盤まででしっかり育成と戦力増強すれば後半は流れ作業になるのですが。 大和支配後~南近江侵攻1ターン目 南近江侵攻2ターン目 南近江侵攻3ターン目 南近江侵攻4ターン目 大和支配後~南近江侵攻1ターン目 ADVパート「朝倉攻め開始&撤退」 お前は女を誑かすことしか考えてないだろう? 出てくるたびに鼻につくなぁ… これが…
朝、雨だったので習字を書いてからランに行くことにしました。嫁さんは木工クラフト・美術・演劇・ボランティアなどいろんなクラブに入りたいようです。 「日本史1200人」480 六角義賢(ヨシカタ;1521〜1598) 近江国守護大名、南近江の戦国大名、六角氏15代当主、観音寺城主。13代将軍・足利義輝や姉婿の細川晴元を助けて三好長慶と戦い敗戦し続けたが、1558年に義輝を京都に戻し面目を保った。また、浅井久政の離反・侵攻を一時は撃退したが1560年に大敗を喫し、義賢の権威は低下し出家して承禎と号した。1568年、織田信長が足利義昭を奉じて上洛を開始すると、三好三人衆と通じて戦い和睦した。1572年…
前回はうまく波切城に敵が逃げ込んだことにより、殲滅後に紀伊一国含めてごっそりと支配下に置けました。 別にクリアターンは全く意識していないのですが、すんなり領土が手に入るのは嬉しいですね。 3ヶ国支配後~大和侵攻1ターン目 大和侵攻2ターン目 大和侵攻3ターン目 大和侵攻4ターン目 大和侵攻5ターン目~(レベルアップ期間) 3ヶ国支配後~大和侵攻1ターン目 ADVパート「義秋、室町幕府第15代将軍即位」 松永久秀登場。 CVは変わらずなのですが、グラフィックは一新されています。 3の久秀が好きだったのですが… 3の時もそうだったのですが、蜘蛛の巣の意匠があるのは「平蜘蛛茶釜」を意識しているのでし…
滋賀県近江八幡市安土町常楽寺にある神社を沙沙貴神社(ささきじんじゃ)という。少彦名命を含めて計四座五柱の神々を祀り、「佐佐木大明神」と総称する。近江源氏の氏神であり、佐々木姓発祥地に鎮座する。平安時代には近江国蒲生郡の式内社となっている。宇多源氏の源成頼がこの地に土着するようになると、孫の佐々木経方が佐々木氏と称するようになった。戦国時代、この地を治めていた佐々木氏の嫡流・六角氏は織田信長によって放逐され、当地は信長の支配下に入った。後には信長の居城である安土城が付近に築城されたが、当社は破却を免れて維持されている。江戸時代の天保年間(1831年 - 1845年)に火災によって社殿が焼失するが…
佐賀県で手に入れた神代勝利さんの小説が思った以上に面白くてかんたんしました。 龍造寺・鍋島コンテンツはまだまだ少ないので、龍造寺隆信さんのライバルサイドから見た佐賀戦国史ってのは貴重ですし面白いものですね。 ↓ 本のオフィシャルHPが見つからなかったのでグーグル検索貼っておきます 山内の鷲 神代勝利 - Google 検索 神代勝利さん……? という人も多いと思いますので、信長の野望・新生の武将プロフィールを張っておきますね。 マイナーな知名度ながらけっこうお強いでしょう。 龍造寺隆信さんなんかの本を読むと、勢力拡大の前半で「あれ、けっこう神代勝利さんって人に手こずってるな。ていうか神代勝利っ…
*Amazonより 【あらすじ】 足利12代将軍義晴は、近江国を流浪していたが京の南禅寺に戻り、一時の平穏な暮らしの中にいた。そこに長男菊幢丸に続いて次男義秋が生まれ、1歳になると足利家に伝わる将来を占う儀式が行なわれた。筆具と紙、銅銭、刀剣、そして墨染の衣と、それぞれ官吏、商人、武人、僧侶を象徴しているものを並べ、子供がどこに歩むか。足利将軍家では嫡男以外は僧侶となる決まりがあるため墨染の衣へと導かれたが、義秋は素通りし、刀剣や銅銭も見向きもせずに、筆と紙を捕まえる。 しかし義秋は予定通り、生母の縁から5歳で藤原氏の氏寺である奈良興福寺へ入門し、覚慶として水汲みや掃除などの作務を日課とした。…
以前「沼田麝香は本当に細川マリアだったのか?」みたいな記事を書きました。 その際にちょこっとだけ「清原マリアと混同してるんじゃね?」という世迷言を言っていたのですが、今回の記事では清原マリアについてまとめておこうと思います。
津々堂さんのブログのこの記事によると、清原/舟橋家の界隈に「壽光院」「寿光院」という法号を持つ女性が2名?おり、それぞれ幽斎さんの「姉」と「兄弟(ママ)のように育った者」だそうな。
蝶の戦記(新装版)上 【電子書籍】[ 池波正太郎 ]価格: 784 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 甲賀忍びの一派、杉谷忍びに属する於蝶は、頭領・杉谷信正から上杉謙信のもとに行くように命じられる。上杉謙信は度々刺客に襲われ、軍師宇佐見定行から杉谷忍びの助けを求められたのだ。於蝶は蝶丸と名を変えて上杉謙信の小姓になり、謙信のお椀に毒が入れられたことを見破り、謙信の信頼を得る。 この頃、上杉謙信は策略で事を進めようとする武田信玄に対し、今後立ち上がれない位の打撃を与える決意をしていた。決戦の場は川中島。その頃於蝶の叔父、新田小兵衛も鉄砲の名手である杉谷善住坊と組んで武田信玄の首を狙っていた。善住…
本作は、「著 ケン・セントアンドレ 翻訳:安田均/グループSNE」が権利を有する『トンネルズ&トロールズ完全版』の二次創作作品です。 (C)Group SNE 「トンネルズ&トロールズ完全版」 T&Tのルールで無理矢理、戦国武将の気分を味わうソロアドベンチャー。 一人用。種族(善のみ 人間推奨)、1レベルのみ、タイプ、性別不問。 まず、以下の表から、PCが仕える大名を選ぶ。1国 陸奥 津軽為信 7国 相模 北条氏康 13国 南近江 六角義賢 19国 出雲 尼子義久 2国 陸中 南部晴政 8国 駿河 今川義元 14国 北近江 浅井長政 20国 安芸 毛利元就 3国 陸前 伊達輝宗 9国 三河 徳…
1559(永禄2)年8月、将軍・足利義輝をも凌駕する権勢を誇った三好長慶は、河内守護・畠山高政と安見宗房の対立による河内国内の内訌に介入。守護・高政方に付いて、安見宗房を大和へ駆逐しました。 さらに安見宗房追討を名目として、長慶は重臣・松永久秀を大和へ派遣し、宗房と同盟関係にあった筒井氏とその傘下国人たちへの侵攻を開始します。 その後、近江守護・六角氏と河内守護・畠山氏と対立するようになった三好氏は、南北から両氏の攻撃を受けて一時苦境に陥りますが、1562(永禄5)年の教興寺の戦いに大勝利して河内を支配下に収め、一時的に揺らいだ大和の支配も回復。 筒井党の主要国人であった井戸氏や、古くからの有…
1550(天文19)年6月、大和一国を武略で平定した筒井順昭は28歳の若さで病死し、2歳の遺児・順慶が一門・家臣に支えられる形で筒井氏当主となります。 畿内では前年に筒井氏と友好関係にある三好長慶が、元の主である細川晴元と足利義晴、義輝父子を京都から追い出し、細川氏綱を細川京兆家当主と仰ぐ三好政権を樹立して、近江に逃れた晴元、足利将軍と対峙していました。 大和と関係の深い畠山氏が拠る河内では、実権を握る守護代・遊佐長教と守護・畠山政国が江口の戦い後に対立が起こり、政国は紀伊国宮原(現和歌山県有田市)へ逼塞。長教が事実上の河内国主となります。 筒井氏は当主が幼年ながら、周囲を友好勢力に囲まれてい…