John Maynard Keynes
イギリス人の経済学者。
(1883年〜1946年)
著書「雇用、利子および貨幣の一般理論」(いわゆる「一般理論」)によって、セーの法則を前提するそれまでの経済学をまとめて古典派にしてしまった。
学問分野だけでなく、現実の政策分野にも多大な影響を与えた。
1883年6月5日:ケンブリッジ生まれ.父はジョン・ネヴィル・ケインズ*1.母はフローレンス・エイダ*2という英国の一流家系*3に長男として産まれた.
1887年:自ら利子を定義した(有名なエピソード)
1898年9月:イートン校入学. イートン校在学中には数々の賞を受賞(4年間で63個).
1906年:高等文官試験で総合2位の成績で合格.インド省に入省.
1914年:金融恐慌時に金本位制が崩壊するのを阻止するのに貢献.
1915年:大蔵省へ移る*4
1919年:官僚生活に嫌気をさして辞職する.
以後,サセックスの田舎で『講和の経済的帰結』*5の執筆に専念.
1919年末:ケンブリッジに戻る.投資家としてキングス・カレッジの運営資金を投資で三倍近くに増やす.
以後,ケンブリッジ大学教授、ナショナル生命保険会社など様々な会社の最高経営者や会長,『エコノミック・ジャーナル』の編集者,首相直属の経済財政諮問会議の委員,投機家など様々な職種に就く.
1923年:『貨幣改革論』*6を出版.
1925年8月4日:当時バレリーナのリディア・ロコポヴァと結婚.
1930年:『貨幣論』*7を出版。
1936年:『雇用、利子および貨幣の一般理論』*8を出版.
1940年:戦時問題に関する大蔵大臣のアドバイザーとして諮問会議の委員に任命される.更に大蔵省にケインズ専用の一室を設け,非常勤の大臣補佐官に就任.
この間
に貢献.
1946年4月21日:心臓発作により死去.
*1:ケンブリッジ大学の大学事務総長レジストラリー
*2:元ケンブリッジ市の市長
*3:イギリスは階級社会である
*4:このころ国際経済問題としては第一次世界大戦後のドイツの賠償金問題
*5:ドイツに賠償金を請求を迫る結末として、戦前のヨーロッパの経済組織の破壊やドイツによる復讐戦であり,賠償金問題の解決策としては連合国間の全ての戦時債務を棒引きにして、フランスとベルギーに対するドイツの賠償金の支払いを最小限の年額に制限してドイツをヨーロッパ大陸の経済的な機軸として再生させることであると主張
*6:管理通貨制度の有用性を唱えた
*7:金本位制と失業問題の関連を複雑な概念的分析によって論じた
*8:『一般理論』