カツ丼

ゆめあん

わたしはカツ丼が好きです。うな丼も好きです。天丼も好きです。チンドン屋も好きです。

でも、牛丼はそれほど好きではありません。なぜかといふと、一時期、牛丼が大層安かつた時があり(280円)、その時にむやみやたらに牛丼を食べてしまつたので、すつかり厭きてしまつたのです。

牛丼がプレミア商品となつた今、興味が失せてしまつたのは、幸福なことだと思つてゐます。わたしは行列が嫌ひなので。牛丼屋さんには申し訳ないのですが。

どんぶりもののなかでは、うな丼が一番すきなのですが、うな丼は大層高いので、家でしか食べません。神戸の三宮にうな丼のとてもおいしい店があります。と云つても、十年は行つてゐないので、今はわかりません。

カツ丼はゆきつけの店があります。なかなかおいしいです。

でも、高級店ではありません。

わたしのゆきつけのお店は、神保町と新宿にあります(註、写真の天丼はそのお店のものではありません。また、そのお店には写真のテーブルのようなきれいなテーブルはありません)。

Tといふそのお店は、あまりきれいなお店ではありません。その分、値段は安いのです。

あまりきれいでないので、若い女性客はまつたくゐません。

当今は、吉野家なか卯なぞの牛丼屋さんに若い女性が来るのは珍しくありませんが、とりわけバブルのころにはそんな光景はありえないものでした。駅なぞにある立ち食ひそば屋は、今でも若い女性客はわづかですが、少し前の牛丼屋もそんな感じでした。

そこは、とても男くさい空間だつたわけです。

わたしのゆきつけのお店は、今でも男くさい空間です。髪の毛を染めた、若いのに若く見えない女性店員が、男くさい空気に花を添へてゐます。

しかし、男の空間ですから、女性店員はきはめて控へ目です。いらつしやいませといふ声も適当です。こちらと目を合はせることもなく、また決して声を張り上げたりはしません。なにをいつてゐるのかわからないことさへあります。

さうして、彼女はビール瓶がたくさん入つた大きなプラスチックのケースの上に長靴をのつけて、ものうげにテレビを見てゐます。

そのお店には、カツ丼だけではなく牛丼もあります。なぜか焼豆腐入りの牛丼なのです。露西亜帰りの友人を連れていつたら、安い安いと感動してゐました。その友人は味については何も云ひませんでした。

それはともかく、おやぢどもが入れ替はり立ち代りでやつてきては、牛丼を頼み、牛丼が来るなり、すばらしい速度でかきこんで、たちまちのうちに立ち去つてゆきます。

わたしはそのなかで、のろのろとカツ丼を食べます。猫舌なので、熱いものを素早く掻き込めないのです。

テレビが強烈に大きな音で鳴つてゐます。スポーツであることが多いのですが、わたしはまつたく関心がないので、黙々とカツ丼をたべます。もつとも、お客もわずかな時間しかお店に滞在しないので、あまり見てゐません。

男たちが牛丼やカツ丼を待つ顔はなんだか物憂げです。

それにしても、この光景は昔の都会の駅前の食堂でよく見かけたものでした。

古い木造の建物の汚いガラス戸をがらがらと空けて入ると、もうもうと湯気がけむつてゐます。壁にはメニューを記した短冊がたくさん張つてあり、店の中にはいろんなものが雑然と置かれてゐます。

テレビはがあがあとうるさく鳴つてゐて、汚い格好をしたおやぢが黙々と食事をしてゐます。うつろな目で食事が運ばれてくるのを待つおやぢもゐます。おやぢはテレビを見上げてゐますが、テレビにむけられた目には何をも写してゐません。ストーブの上のやかんからは、しゆうしゆうと湯気が出てゐます。

運ばれてくる食事は、薄汚れたアルミの盆に載つてゐます。水の入つたコップも、分厚くて薄汚い感じです。料理の味も概して悪いのですが、なぜかそんなお店が好きでした。

ある寒い日にこの手の店(地方都市です)に入りましたら、雪が突然降りはじめたことがありました。くもつた窓をこすると、窓の外でさらさらと雪が舞ひ落ちてゐるのが見えます。

おお、ゆきだ。

思はずわたしが云ひますと、店のおばちやんが今夜は冷えると思つたよ。といつて笑ひました。雪をかきわけながら車や市電が通り過ぎます。お店のストーブは暖かく、窓はすぐに真つ白になりました。外は寒さうでしたが、おばちやんとのたつた一言の会話で、なんだかとても暖かい気持ちになつたのです。

清潔なチェーン店の隆盛で、こうした男くさい食堂は以前よりは減りましたが、まだまだ残つてゐます。いつてみると、いろいろ発見があるかもしれません。