喪失と再生 〜ミシュカの森2017 (下)

入江さんの、喪失から再生への道のりは、喪失体験で抱えた負のエネルギーを、新たな出会い、新しい人間関係を構築するプラスのエネルギーに換えることから始まった。人間は希望によっても繋がることができるし、絶望によっても繋がることができる。

人間と人間を繋げるエネルギーは、マイナスのものでもプラスのものでも、かまわない。そして、その結果構築された人間関係が、慰めや癒しといった心の滋養に満ちたものにすることができれば、過酷な喪失体験を正視する力が生まれてくるのだろう。

入江さんのように、社会的なアクションを起動し、継続するエネルギーさえも、生まれてくるかもしれない。それは艱難に満ちたものかもしれないが、悦びにも、生き甲斐にもなり得るものだ。注意を要するのは、だからといって、入江さんは、「犯人が妹家族を殺してくれたおかげで、自分は気の合う仲間を見つけ、充実した生活が送れている。彼らが死んでよかった」とは断じて思えないことである。

この部分の葛藤の深度は、世人には容易に到達しえないところにある。世間の一部は、入江さんにあくまで「凄惨な事件を嘆き続ける、かわいそうな遺族」であり続けることを求め、充実した社会活動の担い手や、職業としての著述家というパーソナリティを受け容れない。

それゆえに、入江さんは、世間の無遠慮な攻撃や、無理解との相克に直面しているのかもしれない。しかし、それを乗り越える(あるいは、いなす)十分なエネルギーも、入江さんは備えているような気がした。

当日の、もう一人の登壇者は、小児科医の細谷亮太さんである。細谷さんの場合は、医師として小児ガンで命を落とした子どもとその家族に、接し続けてきた経験を持つ。1万人に1人という小児ガンに罹り、子どもに死なれる両親の喪失感がどれだけ深く大きいかは、これも自分の想像を絶している。

細谷さんが若手医師として、初めて担当した小児ガン患者は「アヤちゃん」という女の子である。この子を看取ったとき、ともにチームで治療に当たっていたの同僚の医師や看護婦が立ち去り、遺体を前に悲嘆にくれるご両親と、細谷さんが個室に残された。そのとき細谷さんは、部屋の隅に立って黙って涙を流し続けたのだという。

細谷さん自身は、このときのことは記憶しておらず、約三十年後に再会した、女の子のご両親が、細谷さんに感謝の意を表したときにわかったのだという。ご両親は、この病院の中で、細谷さんだけが自分たちの悲嘆に共振し、寄り添ってくれていることを強く感じ、それが大きな慰めになったのだという。

医師という職業は、多数の患者を担当し、冷静で的確な判断のもと、合理的な医療を施す技術者である側面を求められるから、日々直面する患者の苦しみや遺族の悲嘆の一つ一つにまともに向き合っていられない。

逆にいえば、患者の苦しみや家族の心痛が、あくまで「他人事」であればこそ、存分にその持てる技量を発揮できる、という面がある。つまり「薄情」で有ればこそプロとして的確な振る舞いができる、それが医師という職業の「業」である。「どんな手練れの外科医でも、自分の子どもの手術は怖くてできない」というのは、このあたりの職業的な機微を顕している言葉だ。

ちなみに、人間には、対峙しているものが自分にとって重要であればあるほど、失敗や喪失のイメージが横溢するという、厄介な性質がある。それは手痛い失敗や、取り返しのつかない喪失を回避するには、対峙すること自体から遁走するという、本能的な自己防衛機能の発動でもある。

細谷医師にしても、センシティブだった若い時代に、自分が初めて受け持った小児ガンの患者であったからこそ、女の子とご家族への全身の感情移入が可能だったという事情はあるが、このエピソードが教えているのは、人間の深い悲嘆は、他者との共鳴以外に救われる手段はない、という事実なのである。

人間の生死を語る場面で、よく持ち出される「宗教」や「哲学」は、実は他者と共鳴するためのツールにすぎない。「喪失」というマイナスの事態を、「再生」という前に進む力に変換するには、宗教や哲学を援用するにすれ、しないにすれ、究極的にはとにかく「他者と繋がる」ことが、どうしても必要になってくるのである。

その他者とは、宗教のテキストが仮構する神や、哲学書を記した偉人ではなく、生身の、実在としての人間だ。ここでいう「生身の、実在としての人間」は、必ずしも、いま生存していることを意味しない。

人間と人間との繋がりとは、死んでしまった人と生きている自分との繋がりであったり、死んでしまった後の自分と、生きている人との繋がりでもある。前者は「慰め」であり、後者は「希望」である。前者は、愛する他者が喪失する苦しみを軽減し、後者は、愛する他者を残して死んでいく苦しみを受け容れる助けになるだろう。

仏教者でもある細谷さんは、個人の感覚の工夫や思考の積み上げによって「悟りを開く」小乗仏教より、浄土(天国)を規定し生き死にを通じて人間が往来する大乗仏教の方が、人間を救う力を大きいと考えている。小乗仏教は「知的」な「平時」の宗教だが、大乗仏教は「感情的」な「非常時」の宗教だともいえる。

愛する人を喪うような非常時の激しい心の動揺は、知的な論理ではとうてい収まらない。それを鎮めるのは肉体の死によって切れかかった繋がりを、結び直す媒介者の存在である。そういう意味では、本当に「役に立つ」のは、浄土教のような大乗仏教だといえるのかもしれないと、細谷さんは考えており、自分もそんな気がしている。

細谷さんは、小児ガンで子どもを喪った親たちの年一回集いの世話役もしている。その会合に参加した親たちは、たとえ四十年前の出来事でも、思い出しては涙を流す。ただ、その涙の中身が、年月を経ると変容するのだという。具体的に言うと、初めは激しい苦しみの涙だったのが、次第に、ある種の「甘美」すらまとった、静かな哀切の涙に変わるのだという。

これも、ちょっと自分には想像がつかない世界の話だが、人間の心には、そういうことも起こり得るのだと思うし、そういうことがあるからこそ、どんなに過酷な別れがあろうとも、人間は正気を保って生きていけるのだ、という気もする。

入江さんは新聞への投稿記事で、「人は死んだら終わりではない。遺された者が、亡き人の想いに応え、過去を捉えなおす。亡き人との『出会い直し』におり、悲しみを生きる力に変えていける。『悲しみ』は『愛(かな)しみ』だと気づかされる瞬間があると私は信じている」と述べている。

子どもを喪った両親が、四十年後に流す静かな涙は、「悲しみ」から「愛しみ」に昇華したものであろう。そこに至るまでの、一瞬の喪失と、長い再生のプロセスを思うとき、今の自分には到底歯が立たない、厚く高い壁がそこにあるのを感じる。