レッテルを引き裂かれる思い(「デッドマン・ワンダーランド」第5話感想)

アニメ「デッドマン・ワンダーランド」第5話の内容を前提とした感想を書きます。ニコニコ動画で5月27日ごろまで無料配信中です。

クロウが血の量を変えずに刃を伸ばしたとき、僕はレッテルを貼りました。格好良い! おもしろい! ああ、これは格好良い戦士たちが異能力をいかに工夫して戦いに勝つかという「バトル物」なのだな、というレッテルです。しかしその後クロウは「異能力」とはまったくべつの暴力によって傷つけられました。戦士を傷つけるのは戦士ではなく、作中の言葉を借りるなら「不条理」な「デッドマン・ワンダーランド」という「現実」だったのです。ここで僕の貼った「バトル物」というレッテルはビリビリに破かれました。
逆に気づくのです。僕は「バトル物」というレッテルを貼ることによって、人間の傷つけ合う風景を格好良いものとして楽しんでいたのですが、これはまさに「不条理」の側の視座です。主人公の丸太からみれば、そんな僕は「狂っている」でしょう。
「ギャグ物」のキャラクターが爆発に巻き込まれても髪の毛がちりちりになるだけで命に別状がないことを僕が知っているのと同じように、「バトル物」で傷つけ合う人間たちに僕は残酷さを覚えません。そこにいくつかの王道的要素、たとえばライバルとの切磋琢磨であったり、正義が悪をやっつけたり、という要素があるからです。そのような要素から得られるすがすがしさを僕は期待しているから、気分よく楽しめるのです。
クロウを決定的に傷つけたのは「戦い」ではありませんでした。だからその「不条理」は僕のきもちを守っていた「バトル物」というレッテルを突き破って刺さってきたのですね。クロウの傷を、僕は戦士としての死だと感じました。しかし(OP映像などを)よくみてみると、まだクロウが戦士として生きていることに気づき、さらに驚きます。
しかし、これは「バトル物」というレッテルを再び僕の手に握らせる罠でもあります。僕は認め合った主人公とライバルの正々堂々とした戦いを、「バトル物」の王道を、再び楽しみたいと思います。だれがその舞台を用意するのでしょうか、はい、「デッドマン・ワンダーランド」です。
一方に純粋な「期待」が、他方に「期待を裏切られる期待」があります。それらが混ざり合って、僕が本当に何を望んでいるのかわからなくなって、もはやこう思うのです。もう、何がきてもおもしろい。