『FACE』に見る小室哲哉と非モテ

 いろんな場所で多くの非モテやコミュニケーション能力に関する意見を読んでいると、自分でもさすがにあれこれ考えてしまうんですが、その中で敬愛する小室哲哉の作品、globe『FACE』のことが頭に浮かんだ。これもうリリースから8年なんだなぁ。中2の時か(笑)。当時から結構陰鬱な曲だとは思っていたけどあらためて見てみると歌詞が結構凄い。ググって見ると案の定こんな考察記事があった↓
http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/fulltext/99gl.html

 『FACE』に関して自分が言いたいことは大体言われ尽くしてるんだけどちょっとここは「非モテ」に絞ってみたい。もちろん8年前に非モテなんて言葉は無かったが恋愛やコミュニケーション能力に関してボーダーがあることを何ともロジカルに歌っている。(椎名林檎が最近この曲の事を話していてようだけど、どんな内容だったんだろ)

泣いてたり 吠えてたり かみついたりして
そんなんばかりが 女じゃない (作詞:小室哲哉)

 最初のサビでKEIKOはいきなりこう歌う。
「泣いてたり 吠えてたり」を女の感情表現ととらえると、それらを否定し、<あの人の胸には すぐ飛び込めない>(続く」サビで歌われる歌詞)この主人公は素直に感情が出せず、起用に愛想をふれない・媚を売れない女だと推測できる。
不器用な人間や喪女を語り手にして間接的に励ます曲というのはたくさんあるが、『FACE』はそういう単純な曲ではない。小室作品の多くに共通することだけれど、自分とまわりの環境との距離感や関係性を歌っている。こういった視点が彼の作品に凡百の応援歌には無い深みを与えているのだと思う。(まあ、よく指摘されている事ですが)

バス停で おしゃべりしている学生
明日の事は考えて もちろんいるけど
切実さは 比べようもない程明るい  (作詞:小室哲哉

 おそらくは楽しげに<バス停でおしゃべりしている学生>とは主人公と対になる存在。気持ち悪い深読みをすれば彼らはコミュニケーション神話が機能している社会に上手く適応できている人達といっていいかもしれない。このたった1行に、あちら側に対する羨望や嫉妬のねじれた感情がにじみ出ている気がする。小室のこういう言葉の掴まえ方は本当に上手い。そして、彼らにしても様々な不安や悩みはあるだろうが、彼らの「切実さは」 私のそれとは「比べようも無いほど明るい」と言い切る。
 小室哲哉はその歩みを見ると間違いなくモテの人生を謳歌しているが、その魂が実は「非モテ」なんじゃないかと思う点はこういった言葉の強さにある。(ドラマ主題歌という点を考慮しても)さらに言えば、非モテな風の歌詞なんて書こうと思えばいくらでも書ける感じがするが小室作品の場合、一つ一つの言葉の強さもさることながらメロディーや歌声、サウンドと合わさった時のカタルシスが凄まじい。『a picture of my mind』や『Perfume of love』なんかはまとまな青春を送ってきた人には絶対に作れない曲だろう。最新作「globe2」収録の傑作「JUDGMENT」を見ても、彼が青春時代に人の輪の中心にいれなかったことを思わせるフレーズがある。(高校時代からバンドをやっていたような奴が本当にそんなだったのか、怪しいと言えば怪しいのだが「隅が似合ってた」なんて表現はなかなか出てこないと思う)

 さて、『FACE』に戻すと、メインのサビパートでは


顔と顔寄せ合い なぐさめあったらそれぞれ
玄関のドアを 1人で開けよう       (作詞:小室哲哉

 と歌う。
 部屋から出て<玄関のドア>の先にあるのは言うまでもなく<バス停でおしゃべりしている学生>の大勢いる世界であり、<泣いてたり 吠えてたり>「あの人の胸」にいとも簡単に飛び込むような奴らが大勢いる世界だ。結局はその中で生きていくしか選択肢しか無いという事だろう。<峠は越えたって終わらない 道は死ぬまで続く>のである。
 しかし当たり前だが実際には「玄関のドア」を開けない、つまりコミュニケーション能力神話が支えるピラミッド構造からget outするという選択肢もある。そのための方法をあれこれ考えているオタクや非モテは沢山いると思いますが、当然これはどちらの選択が正しいかなんてわかりっこない。このことに関してはこの場では小室はドアを開けろと歌った、としか言い様がないしそれ以上考察の加えようも無い。
 一応付け加えると、小室は『get it on now』(「LEVEL4」収録)でもこちら側の人間に対して<助演でもいい 途中からでも ドラマ色彩ってね>と呼びかけている。←ここのメロディー気持ち良過ぎ(ドアが隔てる領域というモチーフはglobeで何度も作品にしている。例えば『Knock'in on door of my heart』『THE BOX』など)

 個人的に注目したいのは直前の2行。結構真面目に感動してしまった(笑)。

鏡に映った あなたと2人
情けないようで たくましくもある (作詞:小室哲哉

 「あなた」というのが友達なのか恋人なのか鏡に映った自分なのかは正直判断できないが、「たくましくもある」というのはちょっと面白い。これまでどうにかやってきたことにギリギリの自尊心を持っているということだろうか。こういう部分を見つめる小室の目線はとても優しいと思う。実は『FACE』は彼にとって精一杯の応援歌でもあると取る事が出来る。しかしそれでも彼女に簡単に救いを与えるような事をしないのが(あるいは、できない)ところが小室の正直さでもあり魅力でしょう。
 オタクと非オタクでも、非モテとモテでもそのボーダーを強く意識している層がいるわけで、少なくとも小室哲哉はそういう奴ではあると思う。主体と客体(あるいは環境)のその距離感を冷静に捉えて歌っている点ではトレント・レズナーなんかも割と近いタイプだと思いますが、小室はボーダーの向こうに行く上昇志向(この言い方は微妙だけど)があるという感じか。でも魂はこっち側にあるっぽいなぁ。

 楽曲同様唐突な終わりですが、最後に・・。これらは音楽に付けられた<歌詞>なので、メロディーやサウンド、何より歌声と同時に聴いたときに初めて意味が生じるのであって言葉だけを切り取ってあーだこーだ言うのは全く価値的ではないということを付け加えておくべきでしょう。(よくある「歌詞論」も同じ理由であまり意味があるとは思わない)さらに小室は、作詞においては「のりしろが大事だ」と言っていて(要はいろんな人がいろんな角度から感情移入できることが大事だと)実際にいかようにも解釈可能に作詞してあるわけですから、割と真剣に書いたこの文章も他の人にとっては完全に的外れということもあるわけで・・。まあ少しでも「非モテ考」の一助になれば

 小室オタ丸出し。キモイなぁ

 尚、文中に小室哲哉氏の詞を引用していますが権利の侵害を意図するものではありません。(<>内全て原文ママ