日本の無責任体制

 今の日本で安倍晋三首相は独裁者のように振る舞っている。第二次安倍内閣発足後、好き勝手放題で彼の暴走は留まることを知らない。

 それにしても、なぜ?こんな状況を招くことになったのか。元朝日新聞記者で現在は『週刊金曜日』の編集委員を務める本多勝一氏は『貧困なる精神』などの著作で、「〜侵略・加害の責任をみずからの手で清算せぬまま現在にいたった無責任性〜」と日本人批判を述べているが、そんな無責任性がついに独裁者を産んだのだと思う。

 安倍晋三を語るうえでどうしても無視できないのは小泉純一郎だ。小泉元総理は、ブッシュ元米国大統領やブレア元英国首相と並んでイラク戦争に加担した張本人の一人である。

 イラク戦争がどんなにデタラメであったかは自明のとおり。その後ブッシュ氏は米国内で著しく評価を落とし、歴代大統領の中で「最低」の烙印を押される。またブレア氏も本国では戦争責任を厳しく追求される。ところが日本では小泉氏の人気は持続したまま、ましてや戦争責任を問いかける動きなどほとんど見あたらない。

 小泉氏は政界引退後、東電福島第一原発事故を経て脱原発へと転身したが(戦争責任から逃れるように )、するとかつて小泉氏を痛烈に批判していた左翼・リベラルの多くが市場原理主義の悪弊やイラク戦争加担には目をつぶり、なぜか脱原発だけに惹かれて小泉氏を支援するようになる。

 その小泉純一郎細川護煕が立ち上げた「自然エネルギー推進会議」だが、一体何をしているのだろう。賛同人を集めインタビューばかり繰り返しているようで、具体的な活動がサッパリ見えてこないが気のせいか。大丈夫か?

 近々「シャトーブリアンからの手紙」という映画が公開されるが、これは一人のドイツ軍将校が殺された見せしめに占領下のフランス人150人が処刑されたという史実に基づき、ドイツ人のフォルカー・シュレンドルフ監督(「ブリキの太鼓」などで有名)が作った。

 すなわち「シャトーブリアンからの手紙」は「加害者の視点」が貫かれ、ドイツは第二次大戦の責任を常に背負う覚悟を示したものだ。残念ながら日本にはこのような姿勢がまったく見当たらない。