狼は生きろ、豚は死ね。

 仕事終えて家に帰ると、招かれぬ客が来ていた。
 回れ右して帰りたいが、困ったことに帰る場所はここしかない。
「なにをしているの? そんなところにつったっていないで、中に入ってきて座っていいわよ。あ、お茶のおかわりもらえますか」
 スーツを着たツインテールで童顔の美少女役所職員が、俺の四畳半の部屋の中で、一個しかない座布団に座って、お茶を飲んでる。その前で、ちょっと困った顔をしている俺の強制嫁(殺人犯)。おとなしくこぽこぽとお茶を注いでいる。あの細い指でどうやって人を――あ、頑張ればできそう。
「何? 俺疲れてるんだけど」
 わざとらしくネクタイを外しながら、そんなことを言う。まあ、疲れているのは事実だ。
「私が紹介した仕事に、文句を言うなっ!」
「文句は言ってねえっ!」
 そう。俺は現在、こいつに紹介してもらったフリーペーパーの会社に勤めている。そういった恩義もあり、あまり邪険に扱えない。給料安いし、なんでもやらされるからきついけどな。
「ま、定例の訪問調査。制度が施行されたけど、結構トラブルが多いのよね」
「そりゃそうだろう」
 強制的に若者を結婚させる制度、なんて。トラブルがないほうがおかしい。
「古代のアレキサンダーの東方遠征の際の合同結婚から、この手の政策はうまくいかないもんなんだよ」
「変なこと知ってるわね。どっかの宗教集団はうまくいってるって言ってるわよ」
「信憑性を疑うね」
 憮然とする美少女。
「まあ、とにかく座りなさいよ。すぐにお茶をいれさせるから」
「俺の家だっ!」
 文句を言いながら、示された場所に座ると、お茶が出てきた。舌打ちして、配偶者の方へと視線を向ける。
「こんな奴にお茶なんか出す必要ないぞ」
「はあ」
 首を傾げる配偶者に、美少女職員は平然と、
「そうね。私はお茶よりコーヒーのほうが好みだし」
「おまえの好みなんて聞いてねえっ!」
「五月蝿いわね。じゃあ、これを置いていくわよ」
 そういうと、美少女職員は鞄からインスタントコーヒーの瓶を取り出すと、配偶者に渡した。
「あ、勝手に飲んでいいから」
「ありがとう」
「置いていかんでいいっ。なんだおまえ。入り浸るつもりか? そんなに暇なのか?」
「失礼ね。これでも、仕事は結構ハードで、きついし忙しいのよ」
 心底心外そうな顔をする美少女職員。
「じゃあ、なんでだよ」
「いやあ、あんた見てると、人間下には下がいるものだな、と、自分に自信が持てるのよ」
「わけわかんねえ!!」
 抗議する俺に、配偶者はああなるほどと呟いて、
「そういうことなら、いつでもどうぞ」
「いや、どうぞじゃないからっ」
 なんでこんな奴ばっかりなのか。
「ありがとう」
 美少女職員は完全に俺のことをスルーして、笑顔でそう言うと、鞄から紙とペンを取り出した。
「えーと。それじゃ。なにかある? 旦那が暴力を振るうとか、旦那に暴力を振るってしまうとか、もう既に殺しちゃった後とか」
「俺はここにいるだろうがっ」
「五月蝿いわね。そういう質問なのよ」
 どういう質問だよ。
「ん。そういうのは全くない」
「そう。よかった。新しい旦那探すの、結構面倒なのよね」
 俺はおまえの相手が面倒だ。
「じゃあ次。経済的な面はどう? 強制結婚持参金をあっというまにギャンブルですっちゃったり、浪費したりして、強制配偶者に迷惑かける奴、結構いるのよね」
「世の中駄目な奴ばっかりだな」
「あんたもね」
 ジト目で見る美少女職員。配偶者は頭を振った。
「いや、不満はない。きちんと勤めに出てるし、家賃や公共料金滞納しないようになったし。相変わらず変なものあれこれ拾ってくる癖は治ってないけど。貧乏性というかなんというか」
「俺か? 今は俺の生活指導の時間なのか?」
「いや、そういう訳じゃなくて。……ほら、私も働けたらいいんだけど」
 少し俯く配偶者に、美少女職員はうーんとペンで頭をかきながら、考える。
「うーん。首輪は裁判所の管轄だから、外せないし。テレビや新聞に顔出ちゃったからなあ。苗字変わったから他人と言い張るとか……難しいなあ。今時調べれば大概分かっちゃうし」
 俺の配偶者のタートルネックセーターの下には、裁判所がつけた外すことのできない黒い首輪がつけてある。これは、GPSにより位置情報を常に裁判所に知らせるとともに、非常時には締まって対象を拘束する効果もある。「まあ、現代版孫悟空の環ってところかな。何? こんなものに興奮する性癖?」とは、つけている本人の弁である。
 彼女が過去にどんな罪を犯したのか、俺は知らない。うちにはテレビはないし、新聞も取ってない。あまり世の中に興味がある人間でもないので、そういうニュースに触れる機会が今までなかったと言ってしまえばそれまでだが。
 無論、「今時調べれば大概分か」る。だが、どうしてかそうする気にはなれなかった。
「うーん。あ、そういえば、妊娠したら出産費用とお祝い金が出るわよ。――そういえば、夜の生活とかなにかある? 早いとか遅いとか下手とかしつこいとか変なプレイを要求するとか」
「ヘタレね」
 即答だった。
 何か抗議しようとして、口を開くが、ぎろりと配偶者に睨まれて、口を噤む。あの、マジで怖いんですけど。
「ヘタレ、と。他に何かある? なんでもいいけど」
「何も」
 配偶者はそっと眼を閉じて、何かを思案するように、邂逅するように、そっと口を開く。
「何も求めるものはないわ」
「あ、そう。ごちそうさま」
 そう言うと、美少女職員はお茶の急須を床に置くと、ノートとペンを鞄に入れて、立ち上がった。
「じゃ、帰るわ。仕事あるし」
「とっとと帰れ」
「やっぱりここで持ち帰り残業していい? コンセント貸して」
「電気代払え」
「けち」
 
 
 
リエーターズネットワークお題「イノシシ/ブタ」参加作品
でもタイトルに意味はありません。