西澤晋さん作画監督のアニメ『ゴルゴ13』(2008年執筆)

僕好みの良い具合の濃さなんだよな〜。
先週最後の西澤さんの回(44話)が放送されたんだが、枚数節約してるとはいえあの重い内容をまたしても一人で描ききるなんて凄すぎる。
リアルなんだけど最近のプロダクションIGとかのアニメナイズされたリアルじゃなくてそこが良い。
御本人的には原作に似せるべくして劇画調に描いてるつもりなんだろうけど。
やっぱりそれまでに培ってきた技術の方が先行してそれに裏打ちされた氏の本来の絵の巧さが滲み出てる。
いかにもクロッキー的な線の走らせ方とキレのある荒さがとにかくカッコいいんですよ。
41話の女性の裸みたいなのは普段どんだけ他のアニメ見ててもなかなかお目にかかれないですからねぇ。
あの三角筋とか降ろした肘の肉の余ったところに描いてる線とか、ああいうのをアニメで意識的に描いてる人って僕の知る限りあまりいないもんなぁ。





しかしゴルゴって面白いんですね。
原作は読んだことなかったんだけど、アニメは30分という尺のせいもあってか詰め込みがちで色々ぶっとんでて毎回ニヤニヤしながら見てます。
しかも西澤作監回以外のゴルゴは仏頂面でも笑いを堪えてる表情にしか見えなくて、尚更ニヤニヤしてしまったりするんですが。

ゴルゴ13 I [DVD]

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リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座 (漫画の教科書シリーズ)

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げんしけん 二代目の惨

げんしけんの二代目がつまらない、というか僕好みではない、というのもキャラクターの行動が作者の本意とも違って見えるのが違和感を感じさせて、楽しく読めない。
これもオタクの概念がハルヒショック以降、まるで様変わりしていった部分が関係していて、この作者も同様にスポイルされている様が作品に見えすぎていて好ましくない。
笹原たち初代げんしけんメンバーの当時のオタクとしてのアイデンティティだとかプライドみたいなものを否定されているようで、それは前作の読者に対しても手のひらを返し、お茶を濁されたような印象を覚えて、不快に感じてしまう。
今作はロコツにハルヒ以降の若い読者に媚びているなと思わせるパロディ描写も目立つが、それらは所詮程度の問題で、アニメ化されて以降の前作の後半からずっと引きずっているものだし、最大公約数的なネットスラングを絡めた笑いなど個人的には鼻に付くが、そのへんは商業マンガとしての作風を勘案するならば割と流して読むことができる。
とはいえ、ダメなオタクをダメなりに描いていたのが前作のげんしけん初代だとするならば、この二代目はダメじゃないオタクを無理矢理ダメっぽく描いている様にしか見えないのが、単純に前作がヒットしたがゆえの作者の傲慢さに起因しているように思えてならず、残念でならない。
これは、あらゆる部分で“げんしけん”のネームバリューありきで書かれているものだから、創作の余地が極端に狭まれているとも言える。
加えて二代目はキャラクターに対する愛情も感じられない。前作の群像劇としての作劇スタイルこそが当時ほかのオタク系漫画とは一線を画すげんしけん独自の持ち味であったはずだ。今作に至ってはそれらは完全にスポイルされてしまっているから、残念ながらオタクしか読めない。
殊にオタクしか楽しめないものであったなら、初代げんしけんはあそこまでヒットしていなかったのは明白であろうが、二代目に関して言えば個々のキャラクターを立てるという方向性が明確ではない以上、今作のげんしけんの描写は単純に「なんかキモい奴らが集団でやいのやいのヨロシクやっている」ようにしか見えない。
図らずもそういう部分が非常に気色悪く写ってしまっている。生産性のないドラマ、生産性のないキャラクター、生産性を放棄した作者自身の奢り、すべてがマイナスに作用してしまい、ダメさを描くことの面白さを明確に打ち出した前作とは逆に、ダメさを描くことがそのままツマラナさに起因してしまっており、今作の作風は前作ファンとしてはひどく許せない。
続編を書くに至っての作者のブレ具合がうまく消化されておらず、あらゆる点でそのまま作品に反映されてしまっている。
この場合、前作のファンは読むべきではない。この作品においては少なからず、後の人生を変えられた人もいるであろうから。
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げんしけん 二代目の壱(10) (アフタヌーンKC)

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