ムーミンのふたつの顔

ムーミンのふたつの顔 (ちくま文庫)

ムーミンのふたつの顔 (ちくま文庫)


二つの顔、とは、夏と冬の顔(昼と夜。生と死。)あるいは子どもと大人の顔、でもある。
二つの顔、というけれど、明らかに二つ、と分けられるものでもない。
夏のムーミンの中にも冬があり、冬の中にも夏があり、
もっといろいろな季節が混ざり合っているような気がする。
それだから、この物語を読むたびに違った印象を受けるし、見えない部分にまでも惹かれてしまうのかもしれない。
子どものために書かれた物語なのに、
子どもにはたぶんわからないかもしれないのに、
こっそりと、でもごまかさずに、大人(ときどき老人)にしか見えない世界を、子どもの世界に混ぜてしまう。
それが独特の雰囲気をかもす。
…わたしは、子どものころ、それがわからなかった。わからないまま感じる何かの気配が苦手であった。
二つの顔(そしてそれ以上の顔)は、人の一生に似ている。


この本は、ヨーロッパにムーミンが浸透していったこと、
日本にムーミンが浸透していったこと、
そして、アメリカでは、ムーミンがさほど受け入れられなかったこと、などを丁寧に解説するところから始めています。
ヨーロッパでは、新聞の連載漫画という形で、大人たちにまず受け入れられたこと、
日本では、児童書・アニメという形で、子どもたちに最初に受け入れられたこと、
真逆のようで、おもしろかった。追求したら、さらにおもしろいような気がする。


わたしは、大人になってからムーミン童話9冊を読み、大切な本になりましたが、
子どものころには、何度も挑戦しては挫折して、なかなか受け入れられなかったのです。
それは、わたしのムーミンとの出会いがテレビアニメだったからです。
アニメ(一番最初のアニメ)は、絵も物語も、原作の持つ陰影をすっかり排除した明るい物語だった。
アニメの明るくほんわかした世界になじんだ子どものわたしが、『楽しいムーミン一家』を初めて手にとったとき、
あまりに、アニメのムーミンの世界とはちがっていて、おもしろい、とは思いませんでした。
トーベ・ヤンソンの絵も物語も、不気味に思えて、親しみを感じなかった。
ムーミン谷の住人達の性格も、とりとめなく思えて、頼りない気持ちになったのでした。


ムーミンシリーズを子どものころから好きな本だった、といえないことが、ずっと残念だと思っていました。
この世界の奥深くまで味わうことができなくても、なんとなく好き→さらに好き→こんな物語だったんだなあ
そんなふうに、少しずつ、「好き」の形を変えながら、ムーミンとずっと関わってこられたらよかったのだけど。
『星の王子様』みたいに。


でも、今、冨原眞弓さんの丁寧な解説を読みながら、
アニメでムーミンと出会ったことも、
なかなかヤンソン作のムーミンシリーズを受け入れられなかったことも
でも、すごく気になっていたことも、
ムーミン以外のヤンソン作品から好きになったことも、
大人になってからムーミンと出会ったことも、
そして、今ムーミンシリーズが大好き、と思っていることも、
やっぱりひとつのムーミンとのお付き合いの歴史(?)であった、と思います。
わたしのムーミンとの出会いは、アニメのムーミンを大好きだったことが始まりだったんだよ。
「ねえムーミン」と歌う主題歌も好きでした。


今度はムーミンコミックを読んでみよう。
児童書としての9冊とは一味ちがうムーミンに出会えそうで楽しみです。