脚本家・桶谷顕さん逝去

ドラえもん』『パーマン』『オバケのQ太郎』『エスパー魔美』『チンプイ』『21エモン』と、数々のシンエイ動画藤子アニメで脚本を手がけてきた桶谷顕さんが、6月24日に逝去された。享年48歳。末期ガンと闘病中だったという。
 私は、この悲報を「はなバルーンblog」さんの記事で知った。mixi桶谷顕さんの日記欄に桶谷さんのご友人がこの報を書き込まれたのが第一報だったようだ。

 
 10代のころ魂を奪われたように夢中になって観ていた藤子アニメの脚本家が、48歳という若さで亡くなったのは、大きなショックである。しかも、その脚本家が桶谷顕さんなのだから、さらにショックだ。
 私は、アニメ作品のスタッフ名をあまり意識せずに観るタイプで、とくに10代のころは、目立って面白い話や気に入った絵柄に出会ったとき、あるいはあまりに酷い作品を観たときなどに、「これは誰が作ったんだろう?」という興味でスタッフ名を確認する程度だった。
 そんな私が、強く意識していた脚本家が桶谷顕さんだったのだ。


 桶谷さんの名を意識したきっかけは、シンエイ動画版『パーマン』の実質的な最終話である「パー子の宝物ってなーんだ?」だった。当時、『パーマン』と『忍者ハットリくん』と『プロゴルファー猿』が『藤子不二雄ワイド』というひとつの番組内で毎週放送されていた。
 昭和60年7月2日、その『藤子不二雄ワイド』のなかで「パー子の宝物ってなーんだ?」が放送されたさい、「こんな素敵なお話を考えたのは誰だろう?」と思って脚本家の名を確認してみたら桶谷さんだったのだ。


「パー子の宝物ってなーんだ?」は、パー子(=星野スミレ)の宝物がパーマン1号(=須羽ミツ夫)であることを、パー子が1号本人に打ち明ける話だ。“パーマン1号とパー子の恋模様”をひとつのテーマとしていたシンエイ版『パーマン』の、豊かな結実と言える作品だった。
 パー子の少し遠まわしな打ち明け方が何とも良かった。パー子は1号に鏡を渡し、その鏡に映ったものが自分の命の次に大事な宝物だと伝えようとしたのだ。ところが1号は、その鏡を割ってしまったことに気を奪われて、パー子の想いにすぐには気付かない。
 ラストシーンに来てようやくパー子の真意に気付くのである。


「パー子の宝物ってなーんだ?」の前週に放送された「空の飛び方教えます」の脚本もまた桶谷さんで、これも良い話だった。“空を飛びたい”と憧れるミチ子と、空を飛べなくなったパーマンのエピソードを絡めて描いた秀作だ。
 この2作の素晴らしさを、当時文通していた藤子ファンの親友と手紙で語り合い、大いに興奮したものだ。その親友が桶谷さんを褒め称える文章を書いていたのを今でも覚えている。
パーマン』よりあとの『エスパー魔美』や『チンプイ』でのご活躍は、「さすがだなあ」と頼もしい気持ちで観ていた。
 そういった自分の思い出と、桶谷さん死去という事実が心のなかで重なると、悲痛な思いが込み上げてくる。


 桶谷顕さんのご冥福を心よりお祈りします。


・関連ブログ
●はなバルーンblogさん「桶谷顕氏、死去」
http://blog.goo.ne.jp/hballoon/e/908e87ac345cb76c5a52c09efc1d4136
●月あかりの予感さん「桶谷顕さん死去」
http://blog.goo.ne.jp/tsuki_chan/e/22b87ce1e378c847a08387a3e641f998