端午

 今年の端午の日(中国では端午節)5月28日(中国旧暦の5月5日)だった。朝、友たちから「端午の日、おめでとう」ってのメールが届いてはじめて、「あっ、そうか、今日端午なんだ」と気づいて来た。
 
 中国では、端午の日には粽を食べてドラゴンボート(龍船)の競漕を行う風習がある。粽を食べるのは、中国戦国時代の楚の愛国詩人屈原の命日である5月5日に彼を慕う人々が彼が身を投げた汨羅江に粽を投げ入れて供養したことや、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚の餌としたものが粽の由来とされる。また、伝統的な競艇競技であるドラゴンボートは「入水した屈原を救出しようと民衆が、先を争って船を出した」というのが由来であると伝えられている。
  
 紀元前278年5月5日(旧暦)に、中国戦国時代の楚国の政治家、詩人である屈原は楚王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望したため、石を抱いて汨羅江に身を投げて自殺した。去ってから二千年。体は江の底に沈んで、魂はおそらく繰り返す輪廻の扉に入って何度も何度も生まれ変わったことあるだろう。
 
 時は一秒たりともこの世のすべてのことを変えさせており、人も、物事も。
 
 移り変わりこそ人の世。
 
 一秒でさえもずいぶん移り変りが起こる、まして二千年の時空を超えてはなおさらだ。
 
 にもかかわらず、二千年の時間はけっして人々に屈原を忘却させるのではない。二千年は一種の試練であり、屈原への追想は二千年という試練を経て、少しも薄くなることなく、それどころか、二千年前のよりさらに厚くなったのだ。千年前も千年後の今日も、その追想によって、二つの時空が繋がられている。
 
 粽の匂いが各戸を漂い、ドラゴンボートの太鼓の調子が天まで鳴り響くたびに、我々が屈原への思いは惹き起こされ、汨羅江の上空で合流し、古今を通り抜け、歴史を繋ごうとするビームになってくるのだ。このビームはいままでも、そして、これからも、時間に洗練されることによって、永遠の命を得て、宇宙に輝いている。

(孫競)