前略。スターリン(旧ソ猫を噛む)

好きなドキュメンタリーと音楽と旅を楽しむ前提で原発の今

戦時期メディアイベント

戦時期日本のメディア・イベント
読み返してメモ程度。
4章「ヒトラー・ユーゲントの来日イベント」
日独防共協定から三国同盟へ、青少年の交流目的?だったヒトラー・ユーゲントの来日は1938年8月から3ヵ月間の日本視察は色々な処へ出かけて報道も加熱、ブームになった。元祖ドイツ年か
 「ドイツ青少年団歓迎の歌」と「万歳ヒットラー・ユーゲント」の2曲が国民歌謡として発売されている。
39年度の第二次訪問は独ソ不可侵条約のために中止され、翌年40年の来日では紀元二千六百年の式典に参加している。41年には日本側から青年団代表が訪独している。


5章「メディア・イベントとしてのニュース映画」
 映画・ラジオから飛行機まで当時初めて体験する道具を通して『国民』イベントが創られていく。昭和天皇が皇太子時代の訪欧フィルムは以前NHKの『20世紀映像の世紀』のなかで挿入されていた。当時の一般上映会は日比谷公会堂を始め超満員で、入場には主催した新聞の購読者優待もあって、新聞各社の購買競争の「特典」として上映会が地方でも巡回される。昭和天皇は「動画」として早くから「国民」に観られていたことを感じる。
ニュース映画は日露戦争の短いフィルム速報から爆発的な数の観客動員をしている。ニュース映画は娯楽としての映画だけでなく世界情勢をいち早く知るための情報としてインテリの客層まで取り込んだ。都市では演芸場を改造したニュース映画専門館まで出来ている。太平洋戦争の戦地で日本軍の快進撃が停まると同時にニュース映画の観客は減っている。民衆が熱狂したのはやはり戦果だったのか、生活困窮か、飽きたのか。今となっては解らない。