暴走する網膜

 

 果たして今の僕にこんなことをしている余裕はあるのか?来年のことをもっと真剣に考えるべきではないのか?締め切りも近いし…という心の声にはとりあえず耳を塞いで(もう後の祭り)、午前中から「大竹伸朗 全景 1955−2006」展at東京都現代美術館に向かう。上は例の「宇和島駅」と化した美術館、だがこの写真ではネオンサインが小さくてわかりにくい。数年前に一度来た際は東西線木場駅から徒歩15分以上かかりその余りの遠さに辟易したので、今回は半蔵門線清澄白河駅から徒歩9分。だが、途中で少し道に迷ったので、結局はだいたい同じくらいかかってしまった。


 で、ちょっとムリを押して行って見てどうだったのか。頭の中に手を突っ込まれてぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような衝撃。インパクトから言えばおそらく今年のベスト1間違いない。さまざまな所で非常に話題になっていたので期待はしていたが、これほどの現代美術家が日本に現存していたとは。しかもまだ50代にさしかかったばかり。浅田彰は「誰が大竹伸朗を語れるのか?」と挑発しているが(『美術手帖』2006年12月号)、この強烈な網膜的経験の前に言葉は敗北を余儀なくされてしまうのか?ただ、回顧展という形で小中学生時代の作品から編年的に並べている所を前提にすれば、この展覧会そのものにはまだ取りつく島はあるかもしれない。眼から言葉への跳躍。


 ミュージアムショップでその大竹伸朗のエッセイ集を衝動買い。とても軽妙で面白く、素直に笑える。どちらもパンクなのだから、あたりまえすぎるかもしれないが、やや町田康を思わせる。猛烈な眼のひとは、同時に言葉のひとでもあるようだ。

既にそこにあるもの (ちくま文庫)

既にそこにあるもの (ちくま文庫)


 追記:600ページもありそうな図録は流石に買わなかったのだが、以下のサイトで主だった展示作品の写真が見れるのを発見。

http://www.japandesign.jp/HTM/JDNREPORT/061129/ootakeshinrou/index.html

 こうやって見直すと、大竹の作品は理屈抜きで単に絵画としてきわめて美しい。僕の印象にもっとも残っているのは1985年ごろに製作された「ゴミ男」、それとその左右に掛けられた「サンダー」&「エコー・オブ・サンダー」の3つ。会場では「ゴミ男」とその奏でる音楽を中心として名状しがたい空間を演出していたが、これはやっぱ一対の作品?俗が聖にいまにも転化しようとする、そのぎりぎりのあわいを攻める感じ。


 追記その2:展覧会の第1室には、大竹がここ30年続けている肉厚のスクラップブックが数十冊展示されている。その途方もない視覚的経験の蓄積を見ながら、ふと「視覚文化」という言葉が思い浮かんだ。それは直接的には、英語visual cultureの訳語であるらしいこの言葉が、ここ数年日本でも定着しつつあるという趣旨の記事をどこかで読んだのを思い出したからなのだが、それにしてもどうしてそんな連想が働いたのか、しばらく考えていた。*1牛の反芻ではないのだが。


 「美術史」を「視覚文化研究」に言い換えるその身振りは、おそらく「文学研究」と「文化研究」の間(溝?)を跳躍する行為にも似ているようで、それが含意する理屈は頭で分かっているつもりでも、これまでなかなか具体的なイメージが浮かばなかったのである。しかし、大竹の表現の背後にはそれこそ「視覚文化」という言葉でしか表現しきれない、私たちの網膜を否応なく攻め立てる戦後の視覚環境があるような気がする(おそらくそれは、浅田が「ゴミ処理場」という言葉で表現しようとしたものと遠くはないのだろうが)。そのような特殊な環境に没入して視覚の可能性の条件そのものを沈思しながら、なおそこにアートを立ち上げようという意志と欲望の稀に見る強靭さ、そこにこの芸術家の大きな魅力があると僕は感じるし、また、そのことによって視覚文化を巡る様々な問題系が逆照射されるのではないだろうか。

*1:あとでちょっと調べてみたら見つかった。どうやらこのエッセイだったみたい。門林岳史「視覚文化論の向こう側」http://www.dnp.co.jp/artscape/booknavi/060815.html