「漂流ものがたり」。英一蝶。

<今日の江戸学トピック>
国立公文書館では今月14日(土)から3月11日(土)まで、特別展「漂流ものがたり」を開催されている。江戸時代に発生した数多くの漂流事件の体験記や、日本に漂着した外国船への幕府の対応、外国人と救助した地元民との交流の記録などを、豊富な館蔵資料を用いて紹介している。
享保9年(1724)1月13日、画家の英一蝶が亡くなりました。73歳。京都で出生。江戸に出て狩野安信に絵を学び、のち菱川師宣俳諧松尾芭蕉に学んだ。多賀朝湖という名で風俗画を発表、そのうちの作品が幕閣の逆鱗に触れ、(具体的な犯罪はふめいなようだ。)三宅島に遠島。1709年、将軍の綱吉が死に、将軍が代がわりになったことを記念した大赦を受けて、一蝶は江戸に還ってくることになります。このとき、一蝶はすでに58歳になっていました。帰還する船のなかで、かれは一匹の蝶を見つけ、それまでの朝湖の名を捨てて一蝶と名のるようになったということです。英は母の姓の花房からとられた。江戸に戻った後は英一蝶の名で作品を発表しました。代表作に三宅島時代の『四季日待図巻』などがある。