くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「最後のマイ・ウェイ」「クロワッサンで朝食を」

最後のマイウェイ

「最後のマイ・ウェイ
期待していなかったが、ものすごくよかった。
特に、カメラが抜群に美しい。画面の中の色の配置も実に品がよくて美しい。全体のトーンも決してきらびやかにもサイケデリックにもならない。デジタルカメラの特性を最大限に使ったカメラを知るカメラマンの技量と、横長の画面を有効に利用した監督の才能が結集。しかも、物語の構成も実にうまくて二時間をはるかに越える長尺品なのに全く退屈しないし、ポイントポイントで胸を打つ感動を生み出してくれる。久しぶりに見事な作品に出会いました。

きらきら光る紙吹雪の中で狂ったように歌い、踊る主人公クロード・フランソワのステージシーンから映画が幕を開ける。スローモーションの導入部で、一瞬、陳腐な映画かと思わせるが、次のカットで一気にその不安が吹っ飛ぶのだ。

物語は1939年、クロードがまだ少年の頃。スエズ運河会社で働く父と子の暖かい親子のシーンへと移ると、色彩を押さえた趣味のいい色配置による画面に目をうばわれる。デジタルカメラ特有のどぎついショットもないわけではないが、ほんの数カットである。

運河を横切る巨大な貨物船の傍らに立つクロード少年のショット。仕事に誇りを持つ父の大きな背中を思わせるシーンが続くが、まもなくしてスエズ運河はエジプトの国営になり、奈落の底へ落ちる家族。それに伴い、父は一気に落ち込んでしまうが、クロードは元々音楽が好きで、近くの楽団にドラマーとして就職する。そしてクロードの物語が始まるのだ。

フランク・シナトラにあこがれ、彼のようなビッグな歌手になりたいと必死になる姿が描かれていく。

物語の中で3回登場する「マイ・ウェイ」の曲の配分も絶妙。オリジナルが最初に流れる場面、フランク・シナトラが歌っているレコードを聴きながら、画面が歌舞伎の幕換えのごとく次々と変わってクロードが進んでいくシーンのうまさ、さらに、フランク・シナトラの歌詞を今度はクロードがロンドンのアルバート・ホールで絶唱するシーンも見事。

大スターになってもおごることなく突き進むクロードの姿、もちろん、女性遍歴もすさまじいのであるが、アメリカ映画のようなどろどろねちこい演出はいっさい排除、取り囲む女性が、どれもすっきりとした美少女タイプなのもヨーロッパ映画ならではのあっさり感があっていい。

ホテルでシナトラの後ろ姿に出会ったクロード、かつて彼にあこがれたクロードだが、あまりにも巨大な彼の姿に、声をかけることもできないところもまたいい。

なにかにつけてギャンブルに狂ってしまう母親の存在は、一見暗くなりそうであるが、さらりと、そして常に子供を見守る存在としての視点を最後まで崩さない。

あくまで実話ではあるが、映画的にアレンジし、見せ場の配分、登場人物の描写を本筋を盛り上げるために徹底したこだわりで描いていく。

クライマックスが近づくにつれて、年度を表すテロップが短くなり、クロードの最期が迫ったことを徐々に映し出していく下りも見事である。

そして、最期の最期、浴室でシャワーを浴びていたクロードは浴室の電気が不具合なのを気にして、手をふれようとする。足下の湯船、そしてカットが変わり、母親がホームパーティの準備を忙しくしているシーンへ。かかってきた電話から、メイドが必死でテレビやラジオを隠す下り、姉がクロードの死を告げるあたりへともっていく演出も実に生みテンポで、一気に胸の高まりが最高潮になっていくのだ。

葬儀の場面から暗転して、華やかなクロードの姿を映しながらエンドタイトルが実に心に訴えかけるものがある。久しぶりにいい映画に出会った気がする。

脚本のうまさ、展開のテンポの良さ、楽曲の挿入のタイミングが絶妙など、なかなかの秀作でした。


クロワッサンで朝食を
ジャンヌ・モローがやたら頑固な年寄りの役柄で登場という前知識だけで見に行ったが、非常にハイレベルの作品に引き込まれてしまった。

雪景色の中一台のバスが主人公アンヌを乗せている。自宅に戻ってみると年老いた母がいて、添い寝するが、突然いびきが消えたので脈を取ると死んでいる。
こうしてこの物語は始まる。

かつて介護の経験があるアンヌに、パリで仕事があるからきてほしいという要請がある。いってみると、いかにも意地悪そうなフリーダという老女が彼女を迎える。何かにつけて文句を言っては首にするといきまく。

アンヌを呼んだのがステファンというカフェを営む男性で、実はフリーダのかつての恋人である。いや今も恋人かもしれないニュアンスが実に微妙な雰囲気で物語が展開。

といって、派手な抑揚の有る出来事は起こらない。

ステファンも、フリーダもアンヌも孤独なのだ。それ故に、フリーダは悪態をつき、ステファンは仕事に没頭、アンヌも行き場をさまよう。
しかし、徐々にアンヌの中に自分を見始めるフリーダ、そんな彼女に教官を覚え始めるアンヌ。そして、それぞれがそれぞれに思いやるのだが、どこかちぐはぐに。

そして、アンヌはフリーダのもとを去ることにし、巴里の町に出る。

パリの夜を歩き回ったアンヌが最後にとステファンのカフェに立ち寄るが、ステファンはフリーダとの一夜をともにしていて不在。アンヌがきたことを知ったステファンが、あわててカフェに戻りアンヌをつれてフリーダのところへ。フリーダは中から「アンヌ?」と呼びかける。全ての気持ちが凝縮されたこの台詞が実にうまい。絶妙のラストシーンである。

これほどハイクオリティの、映画ファン好みの作品なのに、ものすごい混みようである。しかも、普通の映画を見るタイプのおばさんが大挙していて、二回先のチケットがやっととれる状態という、この熱はなんなのだ。

しかし、映画は良かった。