産着と谷崎潤一郎

 来月(1月)の新刊に、千葉俊二編『谷崎潤一郎の恋文』が中央公論新社から出る。
 その手紙の一部が今月の「中央公論」2015年1月号に載っている。
 注目した箇所からの引用。

 まず、昭和初年に谷崎と松子が出会う前後の谷崎の家庭事情について千葉俊二氏が説明している。

 谷崎の事情
 昭和二年、神戸近くの岡本に居を構えていた四十一歳の谷崎には千代という妻がありました。ところが、二人の関係はうまくいっておらず、谷崎は千代の妹のせいとも関係を持っていました。せいは『痴人の愛』のナオミのモデルになった女性です。谷崎が製作に携わった映画に葉山三千子の名前で女優としても出演しています。 
 ところで、昭和二年、神戸近くの岡本に居を構えていた谷崎の家というのは、多田道太郎著『自分学』に書かれている家のことだろうか。
 その部分を引用すると、

 ちょうど、そのころ谷崎さんは阪急沿線の岡本に住んでいたが、そこはわたしの生家の隣で、谷崎さんはわたしに産着をくださったという因縁がある。(『自分学』85ページ)

 当時、谷崎が隣の家で生まれたばかりの赤ん坊に産着を贈ったということである。
 多田さんの誕生した大正13年12月の頃の谷崎の日常生活をうかがわせるひとつのエピソードだ。
 幼い、まだ赤ん坊だった多田さんは、谷崎潤一郎から贈られた産着を着て育った。


 引用箇所は多田道太郎著『あまのじゃく日本風俗学』(PHP文庫)では、81ページ。
 多田道太郎著『自分学』(朝日出版社)では、85ページ。