考え続ける悦楽

保坂和志さんのエッセーが更新されました。『考えつづけるという意志』を読むと僕はまだまだ、「考え続ける悦楽」が残っているんだと勇気をもらえました。この保坂さんのweb草思のエッセーはユーラシア旅行社の『風の旅人』の連載エッセーと合わせて編集しなおし単行本として発売されるのですね。楽しみです。
「悦楽」、「老人」と言えば、内田樹ブログでもよく話題になる竹信悦夫『ワンコイン悦楽堂』を読み始めたのですが、最初に百円本を中心にしたいわば意識的に脱臼した書評コラムをめくっていると、竹信悦夫なる人物が見えてこない。そんで、ズルして早々と巻末の内田樹×高橋源一郎の対談から読むことにしました。読者の一人としての僕の違和感を高橋さんはズバリと話し始める。

高橋―全部読んだんだけれど、なんていうかね、これ誰? っていう感じだね。これ違うだろうって、まったく本人が出てこない。もうちょっと出してもいいと思うんだけれど、そこに竹信がいない。でも、いつもいない人なんですよ。「いない」っていう感じが、ある時期からする。中学の時の感じを除くと、彼はいないって。そういう部分では竹信って肉体がないような気がするよね。まあ、それでよしとしているってことだと思うけど。−(384頁)−

筒井康隆の『銀嶺の果て』は山藤章二のジジィ、ババの似顔絵もせつなくて70歳以上の年寄り達が相互扶助で殺しあうバトルを繰り返す、これぞ、筒井康隆というブラックユーモア小説ですが、より当事者に近い所為か哄笑できない。年寄りって物凄くアナーキーな部分がある。その方向性でこの小説が進行すれば、哄笑できるかも知れない、只今読書中。

参照:http://book.shinchosha.co.jp/mailmag/kangaeruhito_html/20051006001.html